目の前に広がる世界は自分が作っている

本日の記事を書くまえに、お知らせを。

前回3/5の記事を翌日にちょっと追記した。最後のほうに。3/5に読んだかたはご興味があれば再読を。

さて、前回の記事の最後に書いた言葉。今回のタイトルなわけだが、これはある高次元存在からのメッセージにあった言葉だ。文章の関係でちょっと文言が変わっているがご容赦を。

ヒンドゥー教の神様ガネーシャさんのみなさんへのメッセージ。以下引用。

「混沌とした世界を作っているのは自分たちだ。それを自覚せよ。他人のせいにするな。環境のせいにするな。目の前に広がる世界は自分が作っている。どう見えている?すべては自分次第であることを深く理解せよ。わからなければこいつ(あたしのこと)に聞け。こいつの言うことに耳を傾けろ。真理を語っているぞ。地球人類に期待している。」

高次元からのお年賀

本日は「目の前に広がる世界は自分が作っている」についての考察。

今回はなかなか納得できていないかた向けになりそうなので、わかっている人は復習みたいな感じで読んでいただけたら。

スピリチュアルの世界に入ると、いろんなところでこういったことが言われているのを目にする。

かくいうあたしも、スピリチュアルにふれ始めたころに同じような文言を目にしまくっていた。

だけれども、意味がわからなかった。頭ではなんとなくわかるのだが、実際どういうこと?という感じ。

あの人がこんなことしたりあんなことしたり、世界中で起こっている悲しい現実を自分が作っているってどういうこと?と。

こういった高次元存在からのメッセージみたいな言葉は、ずいぶん昔からチャネラーなどのメッセージを受け取った人が伝えてきたわけだが、この高次元存在からのメッセージというのがわかりにくい。

いろいろなメッセージがあるが、わざとわかりにくく言っていたりもする。

どういう意味なのか?と議論させ、解釈させるのも学びのうちであり、いろんな解釈があっていいようだ。

高次元存在と話しているとよくわかるのだが、いちいちくどくどと説明したりしない。言いっぱなしで「どう解釈する?」と試されているようなことも多い。

そういう意味では、メッセージの言わんとしていることを自分なりに解釈し納得できる段階になっていないのなら、そのメッセージについてはあまり深く考えなくていいのではと思う。

そのうちときがきたら「!」とすんなり心から納得できるようになるかもしれない。

とはいえ、そんなことを言っていたら記事が終わってしまうので、あたしなりの解釈を。ちがうだろう、というご意見もあろうが、どのように受け取るかはみなさんの自由ということで。

数年前ではいまひとつ意味が飲みこめなかった「目の前に広がる世界は自分が作っている」だが、いまは納得しまくりである。

今回のガネーシャさんのメッセージは、案外わかりやすいのではないか。ちょっとしたヒントもある。

「どう見えている?」

そういうことだ。あなたにはどう見えているのか?と問うている。

「すべては自分次第であるということを深く理解せよ」

こうも言っている。すべては自分次第である、と。

「世界の見えかたは自分の意識次第である」ということ。

要は、目の前に広がる世界をあなたはどのような意識で捉えるのか、ということ。

それを言い換えると「目の前に広がる世界は自分が作っている」になる。

あまり特定のことがらについて言いたくはないが、たとえばいま新型ウィルスの件で世界中がわさわさしているが、それをどのような意識で捉えるか。

マスクはないしトイレットペーパーはないし見つけたら買えるだけ買って売るのもありか、学校は休みで子どもたちどうしよう、うちの会社は在宅では無理だし、通勤電車でマスクしてないバカがいて腹が立つし、パートは休みで給料減るし、罹らないか不安だし、経済は悪くなるし、日本やばくない?という意識でいるのか。

マスクって手作りできるんだ、どうしても必要な人に届きますように、トイレットペーパー足りない人に分けてあげよう、なくなったら洗ってタオルで拭けばいいか、学校休みなら普段できないことをやってみよう、通勤電車ちょっと空いてていいな、パート休みだから子どもとゆっくりできる、忙しくて読めなかった本を読もう、罹ったらうつさないようにしないとな、経済ばかりではやっていけないことに気づくかな、日本は経済活動や働き方についてコンパクトにしていくことを考えるいい機会なのでは、という意識でいるのか。

もちろんそれぞれの家庭事情でそんなこと言ってられない、そんな余裕はない、みたいなことはあるだろう。今回の件でほんとうに大変な状態になっている企業や産業があるのもわかっている。

だけれど、不安や恐ればかりの意識で捉えるのか、この経験で学ぶことの意識で捉えるのか、見える世界がぜんぜんちがうのである。

誤解のないように、この件でいえば備えや予防はあたりまえに大切だ。能天気でいろということではない。

内戦がある地域で生きるか死ぬかの状況ならどうなんだ、などのご意見もあろうが基本は同じである。

ことは起こっているのである。どうしようもない起こったことをどう捉えるのか。

こういう捉え方はダメだと言っているのではない。

不安や恐れを隠して忘れたふりをして明るくふるまえという話でもない。

不安や恐れがあることがダメだと言っているのでもない。

いまの自分は不安や恐れがあるな、というだけだ。

そのうえで知っていてほしいのである。「目の前に広がる世界は自分が作っている」と。

辛いなら、苦しいなら、それは自分で作っていることだと。

あたしは経験したから知っている。

周りの状況はなにひとつ変わっていないのに、自分の意識が変わったら世界がまったくちがって見えるようになった。環境や周りの人や起こることは変わっていないのに、いやなことだと思うことが格段に減った。いまはどんなこともすべてを受け容れるだけ。とても楽だ。

「目の前に広がる世界は自分が作っている」「すべては自分次第である」「辛さや苦しさの要因は環境や他者ではなく自分」「自分の意識が変われば人生は楽になる」

魂の成長段階によって、こういったことをすんなり受け容れることができなかったり、頭ではわかるけどいまいち納得できない、などいろんな感じかたがあるだろう。

それがいまの自分ということで、それはそれでいいのだが、辛かったり苦しかったりしている人が少しでも楽になれるよう知ってほしいと思う。

そしてもっと楽になりたいと思うなら、自分の意識を変えるべく取り組まなければならない。

すべての答えは自分の中にある。

自分を知り自分を見つめ自分を認め自分を整え自分を愛する。

辛さや苦しさから開放されるには、内省・内観で自分を見つめるしかない。自分に向き合うしかない。

だってあの人が、とか、生まれがこうだし、とか、そういうことは関係ない。

ガネーシャさんも「他人のせいにするな。環境のせいにするな。」とおっしゃっているが、まったくもってそのとおりである。

自分を見つめる、内省・内観については、いろんな記事で再三書いているので飽き飽きしているむきもあろうが、できない人がたくさんいるから書いていく。

自分に向き合う、自分を見つめることがむずかしいと感じている人も多いのではとも思っている。

本気でやろうと思えればそうむずかしくもないのだが。だれの意見に邪魔されることもなく自分のことを自分で深く深く分析するだけだから。

自分を深く深く見つめて、いまはこういう自分だなと認めて、よろしくないと思う部分を手放し、ありのままの自分を愛する。

そこからすべてが始まる。見える世界を変えていける。ほんとうの意味で愛と感謝の心境に向かうことができる。

意識を変えていくことに役立ちそうな関連記事はこちら。

赦すということ

自分で選んだことはすべて正しい道

ジャッジメントを手放す

アセンションに向けて〜グラウンディングの大切さ

怒りの正体

アセンションへと至る修行とはなにか

アセンションに向けて 〜内省・内観のやり方

謙虚であること 〜スピリチュアルな言葉の意味を考える

心配の種

アセンションに向けて 〜いまの自分を認めるということ

アセンションに向けて 〜自分で歩いていくということ

いつも書いているように、なにを選ぶかはそれぞれの自由だ。これをやりなさい、これを選びなさい、などと声高に言うつもりはない。

生きにくいとか人生は楽ではないとか辛いとか苦しいとか思っている人が、少しでも楽になれたらと、あたしは心から祈っている。

みなさんがそれぞれの思うように人生が楽しいものになるよう、全力で心から祈っている。

love & peace & thanks & blessing!!!

4 thoughts on “目の前に広がる世界は自分が作っている

  1. 食事で鯖の塩焼きを出された。
    魚が好き(と認識してる)なAさんは美味しそうだと喜び
    魚が嫌い(と認識してる)なBさんはえぇー・・・とがっかりした。

    こういう感じですか?

    1. はるさん、
      コメントをいただき、ありがとうございます。

      まずは、食事を出してもらったことにたいして、AさんBさんともに感謝があるといいなと思います。
      書いてくださったことは、AさんBさんの嗜好のちがいということですね。

      視点を変えるという観点からだと、
      Aさんは、うれしいので感謝して美味しく食べればいいのだと思います。
      Bさんは、「嫌いだ、食べられない、がっかり」を「普段食べないからこういう機会に食べよう。」「魚からの栄養素を摂れていないし、必要なのだな。」「魚も食べなさいってことだな」と嫌だ、がっかりにフォーカスするのではなく、気づかせてもらったことへの感謝にフォーカスする、ということです。

      ただ、嫌いなものは身体に合わない場合もあるので、ほんとうに食べられないものを無理して食べる必要はないと思います。
      たとえが食事のことでしたので上記のように書きましたが、人それぞれ身体が受けつけない食物もありますので。

      私が書いていることに、まだまだわかりにくい部分もあるのだろうと、気づかせていただき参考になりました。
      このコメントがお役に立つといいのですが…。
      ありがとうございました!

  2. お答え頂いてありがとうございます。

    「世界の見えかたは自分の意識次第である」を自分のなかで分かりやすく取り入れたかったので、鯖の塩焼き(その日のおかずでした)を例えに聞いてみました。1つの出来事に対してどう認識して受け止めるかでその出来事に対しての意味がかわる。ということなのかな?と

    「こういうことなのかな?」とぼんやりしながら書いてたので、何についてどんな疑問があったのか書かずに大雑把に質問してしまいました。すいません。お恥ずかしい。

    管理者様にお答え頂いた内容もまたまた「あぁ、なるほど」と勉強になりました。感謝にフォーカスする、当たり前のように教えられたのに忘れていたようです。

    ありがとうございます。

    1. はるさん、
      お返事いただき、ありがとうございます。

      はるさんがおたずねになりたかったことと、いまひとつピント外れな答えになっていたようですね、失礼しました。
      どのようなご質問でも書き方でも問題ありませんので、恐縮なさらないでくださいね。

      「1つの出来事に対してどう認識して受け止めるかでその出来事に対しての意味がかわる。」
      鯖の塩焼きのお話は、はるさんがおっしゃることを表すたとえとして、よくわかります。

      鯖の塩焼きを出されたできごとにたいして、
      魚好きなAさんは「やったー」とうれしいできごとになる。
      魚嫌いのBさんは「えぇー…」と残念なできごとになる。
      認識によってできごとにたいしての意味が変わります。

      これも「世界の見えかたは自分の意識次第である」ことのひとつだろうと思います。

      私が記事でお伝えしたかったのは、最初のコメントへのご返信のとおり、
      魚嫌いのBさんにとっても、自分の意識次第では残念なできごとではなく、うれしいできごとに見える、ということでした。

      日本語のニュアンスはむずかしくもすばらしい言語です。

      こちらであらためてご説明する機会をいただき、ありがとうございました。

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