謙虚であること 〜スピリチュアルな言葉の意味を考える

先日、実はよくわかっていない人もいるのではと内省・内観のやり方について書いたが、ふとスピリチュアル的な言葉の意味をはきちがえている場合があるような気がしたので本日はそのことを。

ちなみに内省・内観のやり方の記事はこちら
アセンションに向けて 〜内省・内観のやり方

スピリチュアル的な言葉、と書いたがスピリチュアル的に使わない場合ももちろんあって、だけれど言葉の意味については同じなのでご容赦いただきたい。

まずはタイトルにある「謙虚であること」。

謙虚であることは、エネルギーが波動が高い(軽い)。

これはスピリチュアルなことだけではなく人生訓などにおいてもよく聞く言葉である。大成功した実業家や経営者なども「謙虚たれ」みたいなことを言ったりしているはず(たぶん)。きちんと意味を知っているだろうか。

ネットで検索してみれば謙虚についていろんな細かい情報が出てくるだろう。ここでいう意味とは、ネットや辞書に載っていることだけではない深い受けとり方について、である。

辞書には「控えめで慎ましく、素直に相手の意見を受け入れること」みたいなことが書いてあり、実際そういう意味だ。

まずはこの通常の意味を若干はきちがえている場合があるように思う。

謙虚であることは、卑屈であるということではない。

謙虚であることは、自信がないのではない。

謙虚であることは、遠慮するということではない。

そんなことたあわかっていると言いますか。そうですか。なんだかごっちゃになっている場合があるように思うのである。嗚呼、むずかしきかな繊細な日本語。

そんな言葉のちょっとした意味なんてどうでもいいじゃないかと言いますか。そうですか。いやいやこれがそうでもなくて、エネルギーが波動がぜんぜんちがうのである。言葉自体のエネルギーはもちろんだが、その姿勢のエネルギーが。

たとえば謙虚の意味にある「相手の意見を受け入れること」について。

謙虚に相手の意見を受け入れる、と、卑屈に相手の意見を受け入れる、自信がないから相手の意見を受け入れる、遠慮して相手の意見を受け入れる、ではエネルギーがまったくちがう。自分にも周りにも与える影響がまったくちがうのである。おわかりいただけるだろうか。

では、「謙虚であること」のもう少し深い意味を。

謙虚であることは、そこに尊重と尊敬と感謝、そして愛の思いがあること。

尊重と尊敬と感謝と愛の思いをもって、素直に相手の意見を受け入れること。

対象が他者や人間だけとは限らない。自分にたいしても仕事にたいしても生活にたいしても人生にたいしても植物にたいしても動物にたいしても自然にたいしても地球にたいしても宇宙にたいしても。

たとえば仕事でだれかと相対するときに、遠慮して相手の意見を受け入れ自分の意見を言わずに終わる場合と、尊重と尊敬と感謝と愛をもって謙虚に相手の意見を受け入れ「なるほどそういう意見ですね。◯◯に関しては私はこう思うんですがどうでしょう」と相手を受け入れつつ自分の意見も表明する場合、その場のエネルギーがまったくちがう。

仕事や相手へのリスペクトと尊重と感謝と愛があると、仕事として建設的な会話となり、自分のエネルギーも低く(重く)ならない。そこで相手がどう感じるかはざまざまであり気にしてもしかたがない。

同じように、意味を若干はきちがえている言葉がほかにもあるだろう。

自尊心がある、と、傲慢である、はちがう。

自信がある、と、横柄である、はちがう。

気づいている、と、思い込んでいる、はちがう。

豊かであること、と、過剰であること、はちがう。

信頼する、と、依存する、はちがう。

奉仕、と、自己犠牲、はちがう。

慈悲深い、と、大目にみる、はちがう。

もっともっとあるだろう。共通するのは前者にはやっぱり尊重と尊敬と感謝と愛がある。

あなたは謙虚だろうか。

自分を含め宇宙のすべてにたいして尊重と尊敬と感謝と愛をもって接することができたら人生がとてもラクになる。

love & peace & thanks & blessing!!!

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