自分で選んだことはすべて正しい道

ふたつ前の記事「自分の正体追加情報」の中で、聖母マリアにメッセージをもらおうとお願いしたら自分の中から言葉が出てきた、みたいなことを書いたのだけど、その出てきた言葉「自分の選んだ道、直感はすべて正しい」について書いてみようと思う。

生きていると「あのときああしておけば」とか「あのときあっちを選んでいたら今ごろどうなっていたのか」などと思うことがあるだろう。

あたしも若いころは、学生時代にちゃんと勉強して学歴が高かったらまったくちがう人生だったかも、などと思ったことがある。なにかを研究する人とかになっていたら楽しかったかな、など。

結果的に、いまアセンションしてすべてから解放されてなにごとからも自由であるということは、選んできたことにまちがいはなく、くるべくしてここにきたのだと思う。

一見、選ばされたようなことも自分で選んでいる。たとえば古くからの実業家一家に生まれ、跡を継ぐのが既定路線、親の敷いたレールそのままに進むような場合、自分の意志ではなく抗いきれないように思うかもしれないけど、元をたどれば自分で選んだことだ。親は自分で選んでいるのだから。

それに反発して家を出て失敗をくりかえし、「親の言うとおりにしておけばよかった」などと後悔する場合もあるだろうが、その後悔も込みで自分にとって正しい道なのである。

あたしも研究者になっていたら、などと若いころに思ったことがあったと書いたけれど、選んだ両親を見れば、そんなことにはなり得なかったと今ならわかる。研究者が正しい道だったのだとすれば、ちがう両親を選んでいるはずだ。

いまのあなたがどんな状況であろうとも、それは自分で選んだことで自分にとって正しい道だ。なので、あのときああしておけば、などと思うことは無意味である。

ここで疑問に思う人もいるだろう。

たとえば殺人を犯したり、テロに加担したり、極悪非道極まりない所業をする人たちも「自分が選んだ正しい道」なのか?どう考えても、この人たちはまちがった道を選んだのではないか?

答えを先に言ってしまうと「自分と宇宙にとっては正しい道」であり、はたから見れば「まちがった道」だ。

今回誕生する前に決めてきた人生計画の中にひどい悪行をすることが入っており、その計画に沿うようスピリチュアルガイドさんが取り計らうから、どうしたって悪行はする。それはその人にとっては計画通りなのだから結果的に正しい道といえるのだ。

なぜそんな計画を立てるのかというと、浄化や進化のために経験が必要だからだ。なぜわざわざ新たなカルマを背負うようなことをするのかと思うけれど、次や次の次の人生でその重いカルマを浄化する辛い経験をすることも必要なのだろう。進化への道はなかなか大変。

そんなのは屁理屈だ、殺人なんて正しいわけがないとおっしゃいますかそうですか。そう、あなたから見れば正しくないまちがった道のように見えるだろう。

スピリチュアルの世界では、正しいも正しくないもない、良いも悪いもない、とよく言うけれど、要は視点のちがいだ。視点がちがえばいろいろで、正しいも正しくないも、良い悪いもなくなる。

念のため言っておくと、殺人やテロが正しいと言っているわけではない。そういうことがなくなるよう人間は進化し続けている。

そしてもうひとつ。ライトワーカーさんたちは、もう少しで悪行をしてしまいそうな人とか、辛い状況にある子どもたちを助けたいと行動している人もいると思う。人生計画が決まっているからといって、そういう人たちに手を貸すことは意味のないことではない。助けられることが計画に含まれているのだから。

そういうわけで、あなたはあなたにとって正しい道を進んでいるわけだが、ここでまた疑問がでてくる。

なにをしたって計画通りに進んでいるなら、良い人生になるよう努力していることって報われないのか?必要ないのか?

答えはイエスでもありノーでもある。

スピリチュアルな話の中で「努力する必要はない」というのがあるが、これはアセンションした人やそれに限りなく近い人に対してのものだと思う。

そこまでいくと、なにかをがんばるとか努力する必要性を感じない。それは努力が報われないのを知っている、とかではなく、これ以上ないほど今が良い人生だからだ。今のそのままを受け入れ流れていけば進んでいくと知っている。がんばったり努力する必要はない。

しかし、多くの人たちにとっては、より良い人生にしたい、幸せになりたい、という思いがあるだろう。そういう場合は大いに努力すればいいと思う。

今回生まれる前に決めてきた人生計画といっても、人生の重要なことがらに関して決めてきているということで、○月○日の夕飯はカツ丼、とか、急にオロナミンCが飲みたくなる、とかそういうことまで決めてきているわけではない。(もちろんそれが重要なことがらにからんだことだとしたら、話は別)

仕事上で、今回のプロジェクトは絶対成功させる、と思うなら努力すべきだし、美味しいカツ丼が食べたいなら、がんばってお店を探せばいい。

とにかく意識レベルを上げたい、と思うなら、不要な観念などを手放せるよう努力というか修行が必要だろう。

とはいえいずれにしても、正しい道を進んでいくのだ。

こういう記事を見る人って、自分にとっての正しい道、決めてきた人生計画ってどんなだろう?と知りたいのではないだろうか。

それはもちろん、自分が好きなこと、楽しいと思うことにヒントがある。そして経験から思うに、子どものころ好きだったことや夢中になったこと、興味があったことがわかりやすい。直接的でなくともヒントが隠れている場合がある。

もちろん大人になってから興味を持ったことでもいいけれど、環境的な影響や固定観念が固まっている場合があるので、純粋で柔軟だった幼いころのほうがわかりやすいと思う。幼いころを思いかえしてみると、すっかり忘れていたことがあるかもしれない。

そして直感。頭がガチガチに固まっていると直感を得にくい。直感だと思ったことが実は思考だったという場合がある。自分を研ぎ澄ませ広い視野をもって、直感を得やすいよう修行することは大事。

直感と思考のわかりやすいちがいといえば、迷うことがない、ということだ。直感だと考える間もなく行動している。どうしようどうしようと長々と迷うことは思考の場合があるように思う。もちろん、迷うことすべてが思考というわけではないけれど。

辛いできごとや迷うことも、すべてあなたにとって正しい道。必要な経験ができることに感謝して、失敗したように見えることがあっても選んだことにまちがいはない、と自信をもって進んでいくのだ。

love & peace & thanks & blessing!!!

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