アセンションへと至る修行とはなにか

このサイトのいろんな記事で「修行」という言葉がでてくる。あたしにはアセンションに至るまでの修行の日々があった。

本日は本気でアセンションしたい人向けに、少し厳しくアセンションするための、進化するための修行について語る。

と、えらそうな書き出しだがあくまでもあたしの経験でしかなく、ほかのアセンション達成者がどんな修行をしたのかわからない。だけどもあたしはアセンションしたのだからまちがいはないはずだ。

いつも書いているように、進化への道は人それぞれだし、道のりやアプローチもさまざまな形があるだろう。だれしもに当てはまるかはわからないが、どなたかの参考になるはずだと信じて書く。それがあたしの使命だから。

そしてこれまたいつも書くように、なにを選ぶかは自由だし、なにを選ぶのが正解だということもない。みなさんそれぞれ選んだことが自分の正解だ。

また、さきに書いておくと進化への道もほんとうは「すべてを宇宙にゆだねる」なわけであり、ゆだねていればスピリチュアルガイドさんが計画通り進めてくれる。生まれたときはすべてをゆだねているのだが、育っていく中でそれを忘れてしまい勝手に苦しむ。

生まれたときのまますべてをゆだねられないのが人間だ。

修行とは、すべてを宇宙にゆだねられるようになるためのものである。

「意識レベルを高めるために」シリーズもどうぞ。
意識レベルを高めていく方法 1 〜まずはちょっとご説明
意識レベルを高めていく方法 2 〜カルマの浄化
意識レベルを高めていく方法 3 〜ネガティブな感情・不要な観念の浄化
意識レベルを高めていく方法 4 〜肉体の浄化
意識レベルを高めていく方法 5 〜最終的にはゆだねる

さて、修行の日々があった、とことあるごとに書いているが、あたしはアセンションしたいとか進化したいなどと思って修行してきたのではない。

スピリチュアルに出会いいろんな学びがあり人生は修行だなーと思ってはいた。だがそれがアセンションや進化につながるとはまったく意識しておらず。

アセンションしたからこそ、アセンションに至る修行の日々だったのだとあとから理解した次第。

修行の説明のまえに、あたしがなぜ修行することになったかを書かねばならない。まえに書いたことと重複するかもしれないがご容赦を。

あたしは当時とても幸せだった。子どものころは両親のことなどでいろいろありそんなに恵まれてはおらず、グラウンディングの記事で書いたように生きているんだかなんだかよくわからなかったが、それなりに幸せだと思っていた。

自分のことには興味なく、大切な人たちが幸せであればそれが自分の幸せなので、常に周りのことを気にして生きていた。

あるとき、人に恵まれていてこんなに幸せなのになぜ辛かったり苦しかったりヘトヘトに疲れるのだろうと思った。自分が選んでいることなのはわかっていたが、どうにもできなかった。

そんなとき、友人からあるサイキックの方を紹介された。自分の魂の本質や過去生からのこと、スピリチュアルガイドさんからのメッセージなどいろいろアドバイスしてくれる個人セッションだ。

これまでそういうのを受けることを考えたことはなかったが、そのときはなぜか行こうと思い、なかなか人気のセッションでいつ予約が取れるかという方なのだが、すぐに行けることになった。

このセッションに行ったことが本格的にスピリチュアルの世界に入る大きなきっかけだった。

いろいろとご指摘いただき急に目の前が開けた。幸せなのに苦しいのがなぜなのか気づいた。自己犠牲と奉仕のちがい、まずは自分に貢献しなければ他者に貢献などできない、など。

そこからのちに修行の日々だった、と思えるようなことが始まった。

ひどく前置きが長くなったが修行のこと。

修行1.「自分を知り自分を見つめ自分を認め自分を整える」

ことあるごとに書いているが、いわゆる内省・内観だ。

ほとんどこれに尽きるのではないかと思う。これをやっているといろんなことに派生していく。

こういう記事を読んでいる人は、そんなことは以前からやっているという人も多いかもしれない。それが進化するための修行なの?と思う人もいるかもしれない。

本日は厳しく語っていくので物言いをお許し願いたいのだが、そんなことはやっているけど辛さや苦しさが変わらないというならば中途半端なのだ。変わらないならばやっていないも同然だ。

そんなに生半可なものではない。自分を掘りまくるのだ、深く深く。

修行僧が悟りを開くための苦行として、どこかの洞窟とか御堂に何日もこもったりするが、それは物理的に自分と向き合うしかない状況を作っているのだ。食べない飲まないが苦行なのではなく、自分にとことん向き合うことが苦行なのだ。そのくらいのものだ。そこまでしてもほんとうに悟りを開けるのかどうか。

自分を知り自分を見つめ自分を認め自分を整えることは、どこかにこもらずともできる。日常生活をおくりながらできることだ。四六時中自分の中を見つめるのだ。生活しているといろんなことが起こるが、そのときの感情、思考、行動、すべてを見つめる。なぜそうなのかそうしたのかそう思ったのか、常に自分に問う。

自分が感じる辛さや苦しさや楽しさ、すべての答えが自分の中にある。

そんなことをしていると、自分の整えるべきところが見えてくる。環境なのか肉体なのか、それは人それぞれだろう。

これに派生して、これまたいろんな記事で書いている「ネガティブな感情や不要な固定観念を手放す」につながる。

ネガティブな感情を表すたくさんの言葉をならべてみたが、言葉自体にネガティブなエネルギーがあって読む人に影響をあたえそうなので削除した。とにかくあなたが考えうるすべてのネガティブな感情を手放す。

あなたや世間が、常識だと思っていること普通だと思っていること正しいと思っていること正しくないと思っていること優れていると思っていること劣っていると思っていること価値があると思っていること価値がないと思っていること悪だと思っていること善だと思っていること、などなど固定観念を手放す。

これも自分の中を見つめて手放していくものだ。やっぱり内省・内観なのだ。

さんざん書いているが、ネガティブな感情や不要な固定観念が原因と思われる事態に相対したときに、なぜそう思ったのか自分に問う。答えが見つかったら納得しもういらないと手放す。

たまにこれをかんちがいしている人がいる。ネガティブな感情になったとき、いかんいかんポジティブポジティブ!などと無理矢理笑って忘れようとする。

そうではない。ネガティブな感情になった自分を認め、なぜそういう感情になったのか内側を見つめ原因を探る。

ネガティブなことだろうがポジティブなことだろうが、自分が感じることの原因は外にはなく、すべて自分の内側にある。

修行2.「思考しない」

人間は常に頭の中で考えをめぐらしている。いろんなことを考えている。目先のことだけではなく起きてもいないことまで考えて心配したりする。

思考しないとは、ネガティブなことだけではなくポジティブなことだろうがとにかく頭でいろいろと考えるのをやめるのだ。

これはある程度自分にとことん向き合ったあとにやることだ。内省・内観は思考だけではできないが思考も必要だから。

なるべく考えずにいると、直感・直観が研ぎ澄まされてくる。

スピリチュアルの世界に触れたら「頭ではなくハートで感じろ」と言われる。あたしは最初ハートで感じるというのがどういうことなのかわからなかった。

ハートで感じようハートで感じようとするが、よくわからない。なんのことはない、頭で考えるのをやめたらハートで感じる(=直感・直観)しかないのだ。真理はいつでもシンプルだ。

とはいえ、日常生活を送るうえで仕事していたり家族のことなど、考えずにはいられないことも多々ある。しかもいきなり思考をやめることはむずかしい。思考をやめるという意味がわからないという人もいるだろう。文字どおりなにも考えないだけなのだが。

まずは一日のうち何度か意識して思考しない時間を作る。頭の中に言葉すら浮かばない「無」だ。むずかしければ自分の呼吸だけに意識を集中する。

思考しない時間を作るのには瞑想が便利だ。あたしは瞑想はアセンションになくてはならないものだと思っている。

思考しないとは、悩まない迷わないということだ。あらゆる言動や行動が直感・直観に基づく。いまこの瞬間に判断するだけ。いたってシンプル。

しかし思考をしないというのはむずかしくもあり、だから修行なのだ。

修行3.「感謝する」

三つ目は感謝。あらゆることに感謝する。ありがとうを伝える。

あたしはそうでもなかったが、これって意外とむずかしいのではないか。宇宙のすべてのものに感謝するのだ。地球でいえば世界中のありとあらゆるものだ。

悪だと思われていることや人にも、だ。

なにも細かく並べたてて、ありがとうありがとうと言わなくてもいい。世の中でよくないことやよくない人と思われているものも含めて、すべてに感謝。

せまい範囲でいえば、自分の周りにいる人はもちろん、あるもの、きらいな人やものやことも。

最初は本心ではなく無理矢理にでもいいからとにかく感謝する気持ちをもつ。うそでもいいから心の中でありがとうと言う。

「ありがとう」と言う言葉のエネルギーは高い(軽い)。言っている自分や対象に必ずいい影響を与える。

進化の度合いによっては、とてもむずかしいと思う。だから修行だ。

進化が進めば、本心から心からすべてのものに感謝できるようになる。

上記3つがあたしが思う主たる修行であるが、修行の日々を送っていると他のことに派生したり連鎖したりしていろいろなことが起こり、自分も周りも変化してくる。

修行は人によってはけっこう辛いことがあるかもしれない。あたしは辛いこともあったが変化することの新鮮さが上回っていたのでテンション高く過ごせたように思う。

修行はこれまで書いてきたように、文字にすると大したことないように思えるが、多くの人にとってなかなかむずかしいことなのではないだろうか。簡単ならとっくの昔に個人も地球もアセンションしているはずだ。

ここまでで十分長いのだが、どうしても今回書かなくてはならないことがある。本気の人に向けて厳しく語るのだ、今回は。

こういう記事を読む人は多少なりともスピリチュアルをかじり、知識や情報も豊富だろう。あたしがこういうことをやると進化しますよ、ラクになりますよ、などと伝える場合、実はそういう人の方が聞かない場合が多い。自分はそんなことは知っていていろんなことを実践している、という自負があるから。

別に聞かなくてもいいのだけれど、実践しているわりにえらく辛そうに見える。

みんながラクになるよう手伝いたいからといろんなスピリチュアル的なことを勉強し、いろんなエネルギーワークやワークショップに通い、あれやこれやとやっている。でも自分は辛い。

批判するつもりは毛頭なく、そんなにやっているならなぜ、という気持ちになる。もったいないと思う。

スピリチュアル的に成長したい、魂として進化したい、アセンションしたい、宇宙や地球や他者に貢献したい、と本気で思うなら、まずは内省・内観、本気で自分を見つめることだ。

最後にはすべてを宇宙にゆだねることになるが、そこまでの道のりは修行と呼ぶにふさわしい道だ。複雑で厳しい道のりだが乗り越えたらとんでもなくシンプルな真理にたどり着く。

love & peace & thanks & blessing!!!

2 thoughts on “アセンションへと至る修行とはなにか

  1. シンプルでわかりやすいお言葉ありがとうございます。
    私もいろいろ勉強して、つまるところ、内観・内省に尽きるのではという結論に達し、毎日家で一人で自分と向き合ています。
    でも、まだまだ気持ちの起伏があり、日によっては苦しく死にたくなったりするのですが、まだまだ掘り下げが足りないんだなあと気付かせて頂きました。
    もっともっと深く自分を見つめて、不要な価値観を手放していきたいと思います。
    「ハートで感じる」もやっと意味がわかりました。思考が静まった先にあるものだったのですね。ものすごく腑に落ちました。
    ありがとうございます。

    1. 奈美さん、
      コメントありがとうございます!
      そのように言っていただくと、お役に立てているのだとうれしくなります。

      進化の道のりは人それぞれですが、内省・内観はだれにでも必要なものだと思います。
      気持ちの起伏があるのも、いまのありのままの奈美さんですね。
      それでいいのだと、いまの自分を認めて進んでいってください。ときにはひと休みもして。
      奈美さんが奈美さんの思うように進んでいくことを心から祈っています。

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