まず最初に、セッションを受けられたかたではないけれど、このサイトを訪れてくださったかたからうれしいご報告のメッセージをいただいた。アセンションに向けて進んでらっしゃるとのこと。掲載を快くご承諾いただいたのでVOICEページを更新。
6月からの無料期間を経てセッションをやらせていただいて3ヵ月が経とうとしていますが、おかげさまでちょこちょこご依頼いただいています。
ご相談者さまには、この場を借りて感謝申し上げます。
セッションするときは、ほんの少しでもお役に立てたらと祈りながら全エネルギーをそそいでいます。
あたしはいつも感じたことを正直にお伝えしています。
ときには気を悪くされるかもしれないな、と思いながらも、あたしにご依頼いただいたのだからそのかたには必要なことと正直に伝えます。
そこで気を悪くしたりネガティブな感情がでたとするなら、それはまだ手放すことがあるということ。
みなさまが今後よりよく楽しく進んでいかれることを全力で心よりお祈りしています。
そんななか、感じることをつらつらと。
こういうサイトをご覧いただいてセッションをお申し込みいただくわけだから、みなさんとても真摯でできたかたばかり。
スピリチュアルなこともすんなり入ってきて、進化したいと思っていて、ご自身にも向き合って。いろんなことがありながらも自分の道を進んでいらっしゃる。みなさんすばらしいのである。
ということを踏まえつつ、だからこそなのだと思うのだけど、厳しいのである、自分に。
これはセッションを受けてくださった方々だけではなく、進化うんぬん抜きにしても自分に厳しい人って多いように思う。
日本人という人種はそういうもんなのだろうとも思う。最近はとみに他人にも厳しい。
この自分に厳しいということを言いかえると、なにかやだれかと比べているということだ。ジャッジメントしているということ。
アセンションした人もいるのに自分はまだだ、友達は仕事もうまくいってるし恋愛もしているのに自分はぜんぜんだ、兄弟は好きなことをして楽しそうなのに自分はどうだ、などなど。
他者と比べることは手放していたとしても、理想の自分がいてそれと比べている場合も大いにある。
断っておくと、セッションしたどなたかのことを言っているのではなく、すべてのみなさんに向けて言っている。
人生が生きやすくなる、進化する、その第一歩は「自分を認め愛すること」。
もちろん、人生をラクにする、進化するということには人それぞれやることがあり、なにもしなくていいというものではない。
人それぞれにやることはあるにしても、どんな道だとしても、いまのあるがままの自分を認めて愛したうえでのこと。
なにともだれとも比べることなく、いまのそのままの自分を受け容れてそれがいまの自分だと愛すること。
ネガティブな感情や不要な観念を手放していくためには内省・内観なのだが、ネガティブな感情や不要な観念がある自分はダメなのではない。いまそうであるというだけだ。
ここで、「まだまだダメだな」と思った自分をダメだと思う必要もない。自分のことをダメだと思ったのが、いまの自分だ。それを認め、なぜダメだと思ったのか内省・内観する。自分の中を探る。他者と比べていたり、こうあるべきだという不要な固定観念がある、などが見えてくるだろう。
自分はダメだと思いながらの内省・内観と、ありのままの自分を認め愛したうえでの内省・内観はちがう。
自分はこういうところがあるな、いつもこういうパターンに陥るな、などと思わなければ内省・内観も進まないので自覚することは大事だが、それをダメだとか、まだまだだ、と落ち込む必要はない。
進化するためには手放さないとならないものはまだまだある。修行はつづく。だけど、いまの自分はそうだな、これは手放さないとな、そうだそうだそれがいまの自分だ、としみじみ愛してほしい。
考えてもみてほしい。魂の視点から見れば何千年、何億年と旅路をつづけていて、いくつもの生をくりかえしさまざまな経験をしてきて、いまの生を生きている。いまここにいる。そしていまこの記事を読んでいる。
よくぞここまで来たものだ、と思わないだろうか。
今回の生のことだけではなく、魂の視点をもって俯瞰で感じてほしいのである。
今回の生だけに固執していては3次元意識から抜けることはできない。もちろん今回の生を自分なりに生きやすくなるよう浄化を意識して、あれやこれやとしながら生きていくわけだが、魂という視点からみると今回の生だけではない。そのことを心に留めていてもらえたら。
ここまでは、「自己受容」。いまのあるがままの自分を受け容れるということ。それでいいのだと認めるということ。
「自分を認める」というのはもうひとつの意味がある。
自分はダメだとかうんぬんの前に、「自分を認識すること」「自分を理解すること」。
まずは自分のことをきちんと知らないと内省・内観も進まないし、認めようもない。今回の生の自分とは一体どういう人物なのかを知る。
あたしも自分のことを知らなかったのでよくわかるのだが、自分が認識できていない人はきっと、やりたいことがない。なにをやったらいいかわからない。大地ともくっついてなくてふわふわと、たまに肉体と魂がずれたりする。
これは子どもの話ではなくて、ある程度歳をとっている人のこと。子どもはまた別の話。
あたしの経験では、自分のことをきちんと認識できたら身体の中心にバシッと太い芯のようなものが通る。そしてその芯は地球の核とつながる。
そうすることでやっとほんとうの意味で宇宙ともつながれる。
自分のことを認識すると、自分はこれをやりたい、こうなりたい、などが出てきて行動できるようになってくる。
自分がどういう存在なのか認識できてから、そのうえで内省・内観に進んでいく。
自分のことをほんとうの意味でわかるのは自分しかいない。ほかのだれよりも自分が自分のことを知っているのだ。知ってあげなきゃ自分がかわいそうだ。
「自己認識」。自分を知らないと自分を愛せない。
役立ちそうな記事はこちら。
アセンションに向けて 〜内省・内観のやり方
アセンションに向けて〜グラウンディングの大切さ
こういうサイトにお越しのみなさんは、他者に貢献したい、だれかの役に立ちたい、と思っている人が多いだろう。
自分を認めることができたら、他者も認めることができる。
言いかえると、自分を認められないならば他者も認められないだろう。
まずは自分を認め愛してこそ、他者を認め愛せるのだ。
自分を無条件で愛してこそ、ありとあらゆる宇宙のすべてを無条件で愛せるようになる。
いつも書くように、なにを選ぶかはみなさんの自由。
あたしは、愛する宇宙のみなさんが少しでもラクになり楽しく過ごせるよういつも祈っている。
love & peace & thanks & blessing!!!