先日、アセンションへ至る修行という記事を書き、これまでも「自分を知り自分を見つめる」ことについていろんな記事で言及してきた。
悟りへとアセンションへと進むには、さけては通れないこと。というか一番必要なこと。
いわゆる「内省・内観」だが、案外やり方をわかっていない人が多いのではないかと思い、我流ではあるが書いてみることにする。
先日の記事はこちら。
アセンションへと至る修行とはなにか
みなさんが実際どのように内省・内観しているのかは知る由もないし、どれが正解というものでもない。
やり方は人それぞれでもちろんいいのだけど、ほんとうの意味で内省・内観になっていないならばもったいない。せっかくやるなら内省・内観によって気づいたり手放したりにつながるようにしたいものだ。
本格的に内省・内観をしようと思ったら、まずおすすめしたいのが「自分のことを客観的に知り分析すること」。自分のことを知っているようで知らない人って多いのではないかと思う。
自分が生まれる前からわかる範囲で書きだしていく。
祖父母がどういう人であるか、その子どもである両親の特性、どのように育ち二人が出会い結婚したのか(わかる範囲でいい。祖父母や両親のことを知らないなら、知らないというそのことを書く)、
どんな環境で自分が生まれ育ったのか、生まれた自分は祖父母両親のどのような特性を受け継いだのか、
子どものころ好きだったこと嫌いだったこと、なにをして遊んでいたか、学校でなにが楽しかったか、
どのように学校をえらび卒業し、会社をえらび入社してどんな仕事をしているのか、休みの日の楽しみ方、大人になったいまなにが楽しいのか、
乳児のころからいままでのなかで覚えている印象深いできごと、などなど書けるだけ書きだす。できれば時系列で。
生まれてからいままでを、環境や家庭や学校や会社でのできごとを含め書いていく。楽しかったこといやだったこと印象深いことはすべて書き、そのときの気持ちも覚えていれば書く。
それに加え、子どものころや成長過程、現在において気になること、もの、人、場所などを書き出す。
書き終えたら、それをながめる。
順に読んでいき、自分が両親からどのような特性を受け継いで生まれ、どういった環境・家庭で育ち、どのように成長していったか、をながめる。結果現在の自分はこういう人物である、とまた書いてみる。これは箇条書きがいいと思う。
- 思ったことがすぐ態度にでる。
- 料理することが好き。
- 手先が器用。
- 自分に自信がない。
- 正義感が強い。
などなど。たくさんでてくるはずだ。
こういったことをやってみると、客観的に自分がどういう人物か分析できる。
自分を客観的に知ってみると、次になにをやりたくなるのかは人それぞれだと思う。
あまりにも幼少期が辛すぎてと思うならインナーチャイルドを癒す必要があるだろうし、あらためて両親への感謝がわく場合もあるだろうし、よくがんばってきたなと自分をほめたくなったり、自分のやりたいことはこれかもと気づく場合もあるだろう。
あるいは、ここを治したいと欠点みたいに見えることばかりに目がいくかもしれない。
それはそれ、いまの自分はそうなんだ、とまずは認める。この認めるもなかなかできない。欠点ではない。ダメではない。いまそうなだけ。
そのうえで、手放すための内省・内観だ。
たとえば上の箇条書きにある「自分に自信がない」を手放したいとする。自信がもてるようになりたいな、と。
自分に自信がないことを自覚して自信がもてるようになりたい、と気づいたのだからすばらしい。気づかない人もいるのだ。
そこで「よし、これからは自分に自信がもてるようにメイクをきちんとしてお洋服も流行のものをそろえよう」とがんばる。
「自信なさげに見えるからこれからはハキハキ元気にしゃべろう」と思う。それもいいだろう。自信がもてるなら。
だけれどこれは内省・内観ではない。一瞬自信がもてたように感じるが根本の解決にはなっていない。
「なぜ自分は自分に自信がないのだろう?」と自分の中を探るのが内省・内観だ。
そうしたときに役に立つのが、自分のいままでを書きだしたこと。
そのなかに自分に自信がもてなくなるような、自分を否定してしまうような、自分のことが好きになれないような、そんなできごとはなかっただろうか。
または、自分の中にこうあるべきだという理想像があって、自分はまったくそうではないから私はダメで自信がもてない、というような不要な固定観念はないだろうか。
または、兄妹と自分をくらべて自分は一番劣っているからダメで自信がもてない、というような不要な固定観念がもとのジャッジメントはないだろうか。
「落ち込みやすい」を手放したい場合。
落ち込んだときに「私はすぐに落ち込んじゃうな。落ち込んでいてはダメだ。楽しいことをして気分を上げよう」
「落ち込んだときはとことん落ちてやる。泣いて泣いてスッキリしよう」
「あの人にああいうことを言われて落ち込んだけど、それは私がああいうことをしたからだ。これからはあんなことしないようにしよう」
これは内省・内観ではない。
「なぜ自分は落ち込みやすいのだろう?」と自分の中を探るのが内省・内観だ。
これまた、いままでを書きだしたことが役に立つ。自分の中を探りまくる。
「なぜ自分は◯◯なんだろう?」の◯◯が的はずれな場合もあるかもしれない。
「なぜ自分は料理がヘタなんだろう」「なぜ自分はカツ丼が好きなんだろう」
こういったことは、とくになにかを手放したりすることにはつながらないと思うし、自分の中を探っても味覚センスが生まれつきいまいちだとか、カツ丼の香りや味がたまらなく幸せだ、とか、きっとそういうことであろう。
それがダメではもちろんないが内省・内観するまでもないかと思う。したかったらすればいいのだけれど。
「なぜ自分は人間関係がうまくいかないんだろう?」
こういう場合、人間関係がうまくいかないのはなぜかとばかり考えても答えは出ない。
もう一歩深く、人に相対しているときの自分やよく言われること、相手の態度、どんなふうに関係が悪化するのか、などを分析し、そのうえで自分の中のなにがそうさせているのか、について内省・内観する。
分析の結果、
相手を信用できないなら「なぜ信用できないのか?→子どものころ信頼できる大人が周りにいなかったから」
人と話すのが怖いなら「なぜ怖いのか?→子どものころ話すのが遅くてよくからかわれたから」
相手を怒らせてしまうなら「なぜ怒らせてしまうのか?→よけいなことを言ってしまうから」「なぜよけいなことを言ってしまうのか?→相手の欠点にすぐ目がいくから」「なぜ相手の欠点にすぐ目がいくのか?→子どものころから親に欠点を指摘され、直せ直せと口うるさく言われていたから(この場合はプラス「〇〇は欠点だ」という不要な固定観念もある)」
たとえが子どものころのことが原因ばかりになってしまったが、もちろん不要な固定観念が原因の場合もあるだろう。
相手がいてその相手が言ったことに腹が立ったとしても「あんなこと言われて腹が立つのは当たりまえ。でもスピリチュアル的には怒っちゃダメだから怒りを沈めなきゃ」ではなく「なぜいま自分は腹を立てたのか?」と自分の中を見つめる。こういう場合は不要な固定観念が自分の中にあることが多い。
自分が心地よくない感情を抱いたときに、その原因を外や周りにではなく自分の内側に自分の中に見いだすことが内省・内観だ。思っているよりも、もう一歩またもう一歩深く見つめてみる。
内省・内観をしてみて、原因がわかったら「わかりました。もういりません」と手放す。
たとえにだした「子どものころ信頼できる大人が周りにいなかったから」が原因だとしたら、「あのころはだれも信じられず不安だったね、私。もう大丈夫。その不安はもういりません。手放します」と宣言する。
内省・内観は思っている以上にむずかしい。簡単ではない。
正解はなく、それぞれが気づき納得し手放しラクになったらそれがあなたの正解だ。
自分の思うこと感じることの答えはすべて自分の中にある。
2020/5/12追記
「内省・内観のやり方」の続編があるのでご案内しておきます。
アセンションに向けて 〜「続」内省・内観のやり方
love & peace & thanks & blessing!!!
人生100年時代と言われています。この先何年生きるかわかりませんが70歳になりました。アセンションのことが気になりスピリッアルな勉強をしてきましたが、ここにきてインナーチャイルドの癒しの壁にぶち当たっています。そんな中内省・内観の身を教えていただいたことありがとうございます。ただ、70年前のインナーチャイルドの想いを受け止めて癒してあげること、どうにかしていければと思っています。最後の言葉に、自分の思うこと感じることの答えはすべて自分の中にあるという文章に勇気をいただいた。自分が幼少のころ親から受けて傷ついた心のもとを作った父母の思いを現在自分が受け継いで、自分の中にいるインナーチャイルドは大人になった私に心を開いて話をしてくれなのでは、あるいは私自身の現在の思いがエゴの塊で愛の思いを持っていないのかもしれません。外に目を向けていましたがわが内なる世界を内観してみようと思います。70年の古い固定観念に翻弄されている自分が情けなく思っています。ありがとうございます。
安部政敏さま、
お返事が大変遅くなり、誠に申し訳ございません。
コメントをいただき、ありがとうございます。
インナーチャイルドを癒すこと、長年の固定観念を手放すこと、なかなかむずかしいですね。
情けないなんて思わないでください。
それがいまのご自身、ということで受け容れるだけですよ。
自分をほんとうの意味で癒せるのは自分でしかないと、私は思っています。
そして内観・内省は楽しいものです。
記事が少しでもお役に立てたならとても光栄です。
このご縁に感謝いたします。
ありがとうございました!