サイキック能力を考える

とうとうスピリチュアルガイドさんからペンデュラムで会話することを拒否された。

お話しするとき最初にかならずたずねる「スピリチュアルガイドのみなさん、セッションを開始していいですか?」という呼びかけを、これまで断られたことはなかったのに。

頭の上のアンテナの根元にパネルがパカっと開き、あたしのサイキック能力が開花した。

そのときのことを書いた記事はこちら
アセンションのその後 4 〜サイキック能力のめばえ

スピリチュアルガイドさんたちと直接話せるようになり、たしかにペンデュラムで会話しなくてもいいのだが、確実性を求めて改めてペンデュラムでも質問していた。

最初のうちはつきあってくれていたが、とうとうペンデュラムでセッションを開始していいか聞いたらNoとの返事、「直接話せるからペンデュラムはもういいだろう」と直接言われ。

そうかもしれないが、これまで我々をつないでくれていた相棒のペンデュラムをもう使わなくていいと言われるとなんともさびしく、この石の今後を憂うのである。アクセサリーに作りかえるには若干でかい。なによりペンデュラムになっている姿がとても美しい。ご本人にどうしたいかそのうち聞くことにする。

さて、そんなふうに我がスピリチュアルガイドさんと直接話せるようになり、はたまたメールをいただくご相談者さんの様子がわかり、ご相談者さんのスピリチュアルガイドさんやご親族とお話ししたり、この世に留まっている方とお話ししてあの世に戻っていただいたりしていると、サイキック能力について考えるのである。

サイキック能力はだれにでもあって、それがあるきっかけで開花したり生まれつきそうであったり今回の人生では開花しなかったり。

サイキック能力についてもいろいろある。通常は見えないものが見えたり聞こえない音が聞こえたり感じられないことが感じられたり。能力の出かたも強かったり弱かったり、ある能力が飛び抜けているなど。

あたしはアセンションするまではごくごく普通だったと思う。なんとなくなにかを感じることがあったり、数年に一度くらいたまーにスピリチュアルガイドさんらしき声が一瞬聞こえたり、まったくなにもないわけではないけど、ほとんどないと言っていいくらいの。とても普通。

今回アセンションしてこういった能力が発現したわけだが、アセンションしたあとでよかったなと思うのである。

というのも、ある程度進化してないと能力を持て余すのではないかと思う。

もちろん、どんな進化過程にあってもその人生で必要だから発現するのだとは思うが、受けとめる側の進化の状況はとても重要である。

たとえば単純な話として、頭の中で急にだれかに話しかけられたら「あれ?幻聴?頭おかしくなった?」と思ったり、ほかの人には見えていない人が見えた場合、不安や恐怖を感じたりしないだろうか。生まれつきの場合はまたちがうのだろうけれど。

場合によっては、よろしくない存在がだれかのふりをして話しかけたりすることもある。いいように操られることもあるのだそうだ。

誤解を恐れずに言うならば、霊感が強すぎて精神的に病む、ということは往々にしてあり得ることだろうと思う。

また、そういった力をある程度コントロールできて霊媒師的なことをしていたとして、その助言や対処のしかたについては進化状況によって変わってくるのではないかと思うのだ。

感じることにまちがいはないのだろうが、個々の進化状況によってニュアンスはちがい、利己的な対処や高圧的なもの言い、不安や恐怖をあおって引きつける、みたいなことがあるのはサイキック能力うんぬんではなく魂の進化状況の影響だろうと思われる。ありがちな霊能者や霊媒師が洗脳して全財産を奪う、みたいなことはその一例だろう。

アセンションしたあたしの場合、だれが話しているかを判断でき、よろしくない存在が関知してくることもなく、見えようが見えまいが同じ魂であることを理解しているので不安や恐怖を感じようもない。相談があればご縁に感謝してその人の助けになるよう祈りながら自分にできることをやるだけだ。それを正直に伝えてどう思うかは受けとる側の自由である。

よろしくない霊を祓う、ということもできるのだが、よくあるようになにかしらの呪文みたいなものを唱えて大声で気合いを入れて「出ていけ!」みたいなものではまったくなく、普通にお話ししているべき場所に戻ってもらうだけだ。

なので、憑かれている人によくない影響を与えているのかもしれないが、話してみるとそんなによろしくない霊とは思えない。なので「祓う」という言葉がピンとこない。わかりやすいので使うこともあるが「戻ってもらう」がしっくりくる。

こういうセッションをやっている人がどんなふうにやっているのかもわからず、正解がないことではあるがあたしのやり方はこうなんだな、と日々実感しているところだ。

若干話が逸れたが、いつも書いているようにどうあっても今回の人生に必要であること、魂の進化状況に優劣はないこと、魂的に未熟な霊媒師を批判するものではないこと、自分のことを自慢したいということではないこと、を前提に経験して思ったことを客観的に書いているだけである。

こういった能力をもつまでは、疑問にも思っていなかった。そういうことかと合点がいったのだ。

サイキック能力があっても魂的に進化しないと宝の持ち腐れであり、その能力にあぐらをかくことなく進化に向けて精進してほしいものだ。せっかくの能力を最大限に生かすのに魂の進化は欠かせない。もっともっと人のため自分のためになる。

サイキック能力を開花させたい場合、能力を高めるための修行をするのではなく、魂が進化するための修行をすれば結果サイキック能力が開花するはずだ。もちろん個人差はあるが、サイキック開発スクール(そういうスクールあるのか?)に通わなくても魂が進化すればついてくる。

サイキック能力がある人にセッションしてもらいたい場合、適切な助言や対処を求めるならその人の進化の程度を考慮するべきだろう。もちろんだれであろうと縁があり必要だから出会って関わるわけだが、見極められるよう自分を研ぎ澄ますことが大切だ。

これまたいつも書くように、なにを選ぶかは自由であり自分の感じるままに進めばいいのもまた前提。

サイキック能力について考えてみたところ、サイキック能力がある人ない人だれしもが、結局自分を研ぎ澄まし進化していくことがすべてにつながるのだと思った次第。

love & peace & thanks & blessing!!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

CAPTCHA