いまこの瞬間を生きる 〜こむずかしく考えずとも

お知らせばかりで記事としてはすっかり更新期間が長いのが既定となってしまい、いつも読んでくださるみなさんは「どうせ」とそっぽをむいてしまっているかもしれない。ほんとうに痛恨の極み不徳の致すところ。あたしは元気です。

そういえば、前々回の浄化についての記事だが、アップした数日後に追記をした。記事の最後にほんの少しだけ。

気になるかたはこちらをどうぞ。

本日は、ここのところのできごとで思ったことをつらつらと。

もちろんタイトル「いまこの瞬間を生きる」にからむことなのだが、スピリチュアルではよく聞く言葉であり、わかっているけどなかなかできないというか、日々忙しく日常をこなしていると忘れがちなことだろうと思う。

宇宙の真理でいえば、「『いまここ』にすべてがあり『いまここ』しかない」ということで、わかるようなわからないような、と思われるかたが多いのではなかろうか。

これはもう、感覚的に「ほんとうにそうだよな」と心底納得できないと、いつまでも「よくわからない」ことだろう。

宇宙の真理うんぬん抜きにして、こむずかしく考えずとも「そうだよな」と思っていただけたらとこの記事を書いている。

書こうと思ったきっかけが、先日友人が亡くなったこと。

生きていれば、どげんもこげんも歳ばとってきたもんたい、と笑いながら話す同年代であり、だけれど、死ぬには若すぎる年齢だ。

20代前半から、20代後半であたしが福岡を離れるまでの数年間、自分でお金を稼ぎ体力もあり無茶ができて、楽しいことや楽しくないことがたくさんあって、いま思えば社会人時代の青春ともいえるあのころを共に過ごした友人だ。

仕事が終わったあと翌日も仕事なのに朝方まで遊んだり、一緒にたくさん笑い、いろいろなことを共有した。

彼女が先に結婚してお子さんを授かり、そうなると夜中まで遊ぶことは減ったが、それでも変わらずの感性でつきあってくれたものだ。

あたしが福岡を離れたあとはもちろん頻繁に会えなくなった。

一緒に過ごした時期は携帯電話がなかったころから出始めたころであり、LINEはおろか携帯電話メールもなかった時代なので(嗚呼、科学技術のめざましい進歩よ)、郷里の友人たちとはテキストのやりとりをするクセがなく、電話もあまり好きではなくてマメではないあたしはご無沙汰ばかりで反省しきりだが、帰郷すれば彼女を含めた仲間が集まってくれてわいわい食事をしたり、昨日会ったように変わらず楽しく過ごせたものだ。

こう歳をとると、お互いに仕事や家庭や家族のことで日々忙しく、テキストのやりとりもなく、ここ数年は帰郷しても実家や親のことで友人たちに会う時間はなくなり、年賀状のやりとりはしているものの彼女の近況はよく知らなかった。

なので亡くなったと知らせがあって、突然のことにびっくりしたが、聞けば数年前から病気だったとのこと。

離れているのでまったく実感はなく、帰郷してお線香をあげに行かせてもらったり、ほかの仲間と集って思い出話をしながら弔ったら実感するのだろうと思う。

しかしながら、あたしは死者と話ができる。

声をかけたら返事が返ってきた。

そこで「ああ、ほんとうに亡くなったのね」と多少実感したのである。

生前しばらく話せていなかったのに、亡くなったら話せるなんて皮肉なものだ。

いま話せても、やっぱり生前に顔を見ながら体温を感じながら話したかったと思う。

後悔などとネガティブな気分になっているわけではないが。

生死の話がでてきたので、蛇足なお話を少しだけ。

先日超超超高次元のかたとお話をする機会があり、楽しく会話をしていたのだが、「あなた、いい心がけだよね。」と言われた。

なにが?と思いつつ、そういう場合だいたいなんのことかがわかるので、「ああ、殺生しないことですか?」と問うと、「そうそう、虫も殺さないでしょう?」とのこと。

このサイトでも書いたことがあるが、あたしは虫好きだ。だからというわけではないが、どんなに小さな虫でも殺生はしない。家の中に蚊やアリやクモやゴキブリなどがいたら(古い家なのでいろいろな虫と共存している)、そっと捕まえて外にだす。

そうはいっても見えなかったりで知らず知らず殺生はしているはずなので、仏教の僧のように、ほうきで自分の前を掃きながら歩きたい、と本気で思っている。ほうきを常備するのはめんどうなのでなかなか実現していないが。

そんな話をしたら、その超超超高次元のかたは「いいねいいね、そういう気持ちでいてほしいよね、みんな。」とおっしゃった。

害虫と言われて駆除される虫がいるのは辛い(害獣もしかり)。人間生活においてはしかたがないことだが、共存できればいいなと思っている。

もちろん農作物や園芸や住宅など困ることがあるわけで、大変な思いをされているだろう方々もたくさんいらっしゃる。

だけれど、超超超高次元のかた曰く、「駆除よりも近寄らせない努力をするべきなんだよ。」とのこと。

むずかしいことはいろいろあるだろうが、あたしもそう思っている。

家庭菜園くらいならコンパニオンプランツ(虫を寄せつけない植物を共に植える)もありだし、多少の虫食いはおいしい証ということで。

「そういう心がけは大切だってこと。」とのことなので、なにかのときに書きたいと思っていたが、なんとなく今回書いてみた。

みなさんの考えるきっかけになれば幸い。

こういうことを書くと、ベジタリアンかヴィーガンかと思われるかもしれないが、以前も書いたことがあるように、あたしは肉も魚も食べる。心情的にはできれば食べたくないがいまのところ肉体に必要なので、いつも命をいただくことに感謝していただいている。ほんとうにありがたいことだ。

と、おセンチな話や蛇足が長くなったが、そういうことなのだ。(どういうこと?)

会いたいときに会う、話したいときに話す、やりたいときにやる、思ったそのときに行動することもまた、「いまこの瞬間を生きる」なのである。

感染症が流行ったり自然災害が顕著であったり、自分も家族も友人も、いつどうなるかわからない。

怖がらせたり不安を煽るつもりは毛頭なくて、事故や突然の病など、いつの時代でもだれであろうとも、いつどうなるかわからないというのは忘れがちだがあたりまえのことだ。

だから、今日を、いまを、この瞬間を、大切に生きてほしい。

とてもとてもシンプルなこと。

感謝しているならいま伝える、会いたいと思っているならいま連絡をする、やりたいことがあるならいま行動する。

だれだって今日が今生の最後かもしれないのだから、細かいことなど気にせず楽しい今日にしてほしい。

あたしはいつ最後でもいいように、いつでもだれにでも「ありがとう」を言う。

一番伝えたいことだから。

明日肉体からでることになっても後悔など一切ないが、それでもなるべくたくさん「ありがとう」を言いたい。

というわけで、これを読んでくださっているみなさん、あたしのことなど知らないみなさん、この世のすべてに、いま伝えたいから書く。

いつもほんとうにありがとうございます。

とてもすてきで大切なあなたが、いまこの瞬間に笑っていることを心から願っている。

love & peace & thanks & blessing!!!

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