自分を知ることは他者を知ること

なんとなんと最長未更新。痛恨の極み不徳の致すところも甚だしい。

こちらもnoteも記事が全然書けなかった。バタついているのもあるけれどなぜかしら。とか言いながらなにも考えていないが、高次元に寄稿希望者もたくさんいらっしゃるのに申し訳ない限り。

いつも読んでくださっている方々、ご無沙汰しています。

さて本題に入るまえに、先日の小話を。

ある日の夕方、知り合いの女の子が「眠い眠い、昨夜寝ているときにお腹が痛くなって起きちゃったから眠いんです」「あらあらそれは大変でしたね、もう大丈夫?」などという会話をして、その日の深夜。

寝ていると胃が痛くて目が覚めた。痛いというのか気持ち悪いというのか。あまりそういうことはないし多少のことならそのまま寝てしまうが、どうにも心地悪くうつらうつらしながら目が覚めるをくりかえす。

とそこへ、「食べすぎなのだ、もっと考えろ」みたいな年配の女性からの罵詈雑言。言葉は正確に覚えていないが、なんだかひどく叱られている。

多少食生活が乱れがちではあったがそこまで言われるほどでもないけども、などと思いながら、はいはいと聞いていた。

これはだれかいな?と思うにつけ、こんな罵るような物言いは高次元存在らしくなく、身内だろうなと思った。

そこで思い浮かんだのが、父方の祖母。きっとそうにちがいない。

こんなことを書くからにはちょっと紹介するが、父方の祖母はあたしが4〜5歳のころにわりと若い年齢で亡くなったので、近くに住んでいたがあまり覚えておらず、かわいがられた記憶もない。

と、たいした接点はないのだが、実は祖母は霊感みたいなものがあったらしく、家にたくさんの人が相談に来ていたそうだ。

あたしにサイキック能力が発現したころに母親に初めて聞いて驚いた。まったく知らなかったことだ。

生まれてからサイキック能力が発現するまで、勘はそこそこ鋭かったように思うが自分に霊感的なものは微塵もなく考えたことすらなかったが、こうなってみると、多少の「血」の影響もあるのかもしれず、父母を選んだ要素のひとつになっていたのかも、と、うっすらとしか覚えていない祖母に親近感を感じた。

そんな、そう接点もなく何十年もまえに亡くなった祖母から叱られた。ひどく。そげん言わんでも。

祖母の生前幼かったあたしはまともに会話もしていないだろうが、大人になったいま叱られるなんて、姿は見えずともつながっているのだと、とてもありがたいことだと思った。

肉体のあるなしは、そうたいしたちがいではないように思う。

そう思えるのはもちろんサイキック能力があるからだろうが、だがしかし、それは紛れもない事実でもあろうと思うのだ。

ありがたいお小言を胸に、本日も消化のいい素食にしておこう。

後日あらためて声をかけてお礼を言ったら、「たいしたもんたい。あんたはちょっとでん具合の悪うなったらいかん。人のために働かないかんっちゃけん。わかっとうとか。」とのこと。

はい、精進いたします。

長すぎる前置きで、タイトルにたいして内容がなんだかよくわからないことになっているが本題を。

このサイトでは生きやすくなるために「内省・内観」をおすすめしていて、その第一歩は「自分を知ること」などと書いている。

自分のことを知っているようで知らない人はとても多いと思う。

自分が自分であるために、自分をしっかりと生きていくために、自分を知ることはとても大切だ。

そして「自分を知ることは他者を知ること」でもある。

参考記事はこちら

なぜ自分を知ることが他者を知ることになるのかというと、自分を知り常に内省・内観をしている人ならばわかると思うのだが、自分を見つめていると、不思議なことに他者のことも見えてくる。

視野が広がり寛容にもなってくる。そりゃみんなもいろいろあるよね、それぞれがんばっているよね、となってくる。

他者がよく見えているつもりの人もいるかもしれないが、実は偏っていたり狭い範囲での捉えかただったりすることがある。

自分を客観的に多角的に見つめてみると、他者のことも同じようにもっと見えてくるし、自分を理解するほどに他者も理解できるようになる。

自分=他者ということは、

「自分を尊重することは他者を尊重すること」

「自分を大切にすることは他者を大切にすること」

「自分を認めることは他者を認めること」

「自分を受け容れることは他者を受け容れること」

「自分を愛することは他者を愛すること」

などなど、なんでもそうなのだ。

自分にフォーカスしていると他者をないがしろにするような気がする人もいると思うが、実はまったく逆なのである。

自分にフォーカスしていることと、わがまま放題自分勝手とはちがう。そういう人は自分を見つめてはいない。意識無意識かかわらず他者をコントロールしたかったり、恐れや不安があったり、承認欲求だったり、理由はいろいろだろうが、苦しいだろうと思う。周りも大変だが自分も苦しいのだ。

自分を深く深く見つめていると、たくさんのことに気づく。自分以外のことも。

自分にフォーカスすることで他者へもフォーカスすることになる不思議。

自分への理解が深まれば他者への理解も深まる不思議。

あたしは経験したから知っている。

自分を深く見つめると見える世界が広くなる。それはとても楽しいことだ。

ぜひ体験していただきたいと切に願う。

love & peace & thanks & blessing!!!

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