かけがえのない日々

前回、夏至を境に新しい地球の始まったことをお伝えしたが、その後もちらちら変化が起きている模様。

停滞ムードが動きだすのではないか。

さて、しばらくまえのことなのだが、いまさらながら短く書いておく。

1ヵ月半ほどまえの夜、「この瞬間がずっとつづくわけではなくて、大切にしたいものだな」とふと思った。

あたしはぼんやりテレビを見るともなしにながめていて、家人はめったにさわらないパソコンに向かって仕事を足している。

なんてことない一日の終わりかけ、だ。

読者のかたはおわかりのように、あたしは「無、なにもない」ので感傷的になっているわけではなく「普通に」そう思った。

あたりまえといえばあたりまえのこと。

その翌日に、ある高次元存在との対話を要請されお話していたのだが、その話の中にあたしの寿命を思わせる話がでてきてナイスタイミング。

なんと「お前の命もあとわずかだ。」と言われた。

寿命など知りたくもないが、わずかだと言われるとどの程度なのかとなりお聞きしてみると、高次元存在からしたらほんのわずか、地球人として暮らしている身からするとそうわずかでもない、でもわずかっちゃーわずか、くらいだった。

永遠の乙女といえども(さーせん)この歳になれば人生の折り返しはすぎてるだろうから、これまで生きてきた年数よりはこの先短いだろうし、そんなもんだわなとあらためて思わされた。

ふと思ったこと、翌日に寿命を知ることになったこと、これも偶然ではないのだろう。

自分としては「心して(高次元の)仕事をせよ」と言われたようであり、あらためてふんどしを締め直さねばとなっているが、かたや地球人としての今生を、今日を、この一瞬を、大切に楽しみたいものだとあらためて思った。

魂としては、今生が終わってもご縁のある魂と関わりながら進んでいくのだろうが、なんといっても今生の山田花子(仮名)個人としては今回だけのものであり、関わってくれている人も田中三郎(仮名)個人としては今回だけのものである。

みなさんもみなさんの周りも、みんなそうなのだ。

この時代に関わりあいながら生きている、そしていつかは今生に終わりがくる。

今日あたりまえに笑いあっている人と明日も笑いあえるかどうかはわからない。

至極あたりまえのことなのだが、忘れがちになるのである。狭い世界を生きていると。

ご縁がある方々と楽しく笑いあったり、ときには腹を立てたり喧嘩をしたり(あたしは腹を立てたり喧嘩したりはしないが)、その日々を大切に丁寧に過ごしたい。

今日も明日も明後日も、だれにとってもかけがえのない日々だ。

そう思うと、自分も関わってくれている人も、すべてが愛おしくてありがたくて。

感傷的でもなく脅すつもりもなく、事実として書いている。

このサイトに縁あって訪れてくださったみなさんのかけがえのない日々に、少しだけ関われていることがとてもうれしくありがたく、そしてみなさんのかけがえのない日々が楽しいものであることを、あたしは心から全力で祈っている。

love & peace & thanks & blessing!!!

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