正直なコミュニケーション

近ごろ少々突飛な記事が多かったので、ここらへんでみなさんが自分はどうだろう?とふむふむできるものを。

いろんなかたとお話していると、なんと多いことよ、自分のほんとうの気持ちを言わない言えない人々が。

日本人の美徳でもあるし、だからこそ平和な部分が多分にあるのだが。

しかしながら自分のほんとうの気持ちを言わないことは、思っている以上に苦しく辛いことなのだ。

ずっとそうして生きてきた人は麻痺している。

特に不幸ではないし周りの人にも恵まれていてありがたい、自分は幸せなほうだろう、と思ってはいるものの、なんだかとても疲れていたりなんだか苦しかったりする。

そして、自分を抑えることは他者を尊重することのように思っている。

周りが機嫌よくしているのなら自分もそれがいいし、自分の意見は言わないほうが場が穏やかに和やかにいられるだろうから言わない、機嫌を損ねたら自分もいやな気持ちになるし、などと自分を抑える。

そういう人は基本的に優しい。

周りが穏やかで幸せであればそれが自分の幸せ。自分に関わる人が穏やかに過ごしてくれることが願い。自分の言うことで周りの人を傷つけたくない。周りの人が辛そうだと自分も辛い。

あたしもそうだったのでその気持ちはとてもよくわかるのだけど、そこには大きなかんちがいがある。

このサイトで再三書いていることだが、自分を尊重せずしてほんとうの意味で他者を尊重することなどできない。

自分の正直な気持ちを言わないことは、自分を尊重していないということの最たるものだ。

自分の正直な気持ちを言うことは、けっして他者を尊重しないということではない。自分も他者も尊重すればいいだけのこと。

こんなことを言ったら気を悪くするのではないか、怒りだすのではないか、悲しんでしまうだろうか、などなどいろいろ考えて口をつぐんでしまうだろうが、正直に言ったほうが相手のためになることも多い。

正直に言わないことは、相手が気づいたり学ぶ機会を奪っているかもしれない。

そして正直に言うことは相手を信頼しているということでもある。

大切に思っている人にこそ、本来ならば正直な気持ちを話せるはずだし、話してこそ深くつきあえるというもの。

ちょっと考えてもみてほしい。大切な人には正直な気持ちを言ってもらいたいと思わないだろうか。相手だってそう思っている。

自分の気持ちを正直に伝えるときは、もちろん言いかたや言葉選びは気をつけなければならない。

感情的にならず、相手を否定するつもりはないことを伝える、「あなたはそう思っていて私はこう思っている。ではどうしたらお互い納得できるのか」とお互いを尊重できるよう話し合う、相手には愛と感謝をもって接する、などなど。

また、言葉選びは重要だ。

以前、高次元からのお年賀ということで高次元存在からのメッセージを記事にしたが、その中でケルト神話の神様ルゴスさんがこんなことをおっしゃった。

「みなさん、言葉に気をつけてね。口にだすことはもちろん、頭の中でも言葉を選びなさいね。同じような意味の言葉でもエネルギーがずいぶんちがうのよ。意識してみて。」

高次元からのお年賀

自分の頭の中でも言葉を選べというのだから、他者に発するときはさらに気をつけないと。相手にはもちろんのこと自分にとってもちがってくる。

相手の感情を逆なでするつもりも、傷つけるつもりもないわけだから当然のこととして言いかたやワードには気をつけること。

話すときにいちいち言葉のことなど考えていられないというご意見もあろうが、案外簡単ではないかと思うのだ。

だれであっても愛と感謝と敬意、慈悲・慈愛の気持ちを忘れずに接すれば、自ずと言葉も重いエネルギーのものではなくなるし、言いかたもきついものではなくなるはずだ。

気を遣って言葉を選ぶのではなく、根底にある思いが言葉を選ばせてくれる。

相手のことだけではなく、自分の評価を必要以上に気にしている場合も多いと思う。

こんなこと言ったらいやな人だと思われるかも、ケチな人だと思われるかも、心がせまいと思われるかも、などなど、自分がどう思われるかを気にする。

できればみんなにいい人と思ってもらいたいのはわかるが、そんなわけはない。なにを言ったところで、自分のことをみんながみんな同じように思うわけがないのだ。

自分の気持ちを正直に言おうが言うまいが、好感をもってくれる人もってくれない人、いろいろいるのがあたりまえ。

自分の思ういい人を演じたところで、それを偽善だといやな感じに受けとる人もいるかもしれない。どうしたって他者からどのように思われるかをコントロールすることはできない。

だったら、自分の正直な気持ちを伝えるほうが、少なくとも自分に嘘をつかないぶん楽になる。

そして経験しているのでよくわかるのだが、言いかたや言葉に気をつけつつ自分の正直な気持ちを言ってみると、周りの反応は思っているほどどうってことはない。

こちらが気を悪くしないだろうか、どう思われるだろう、などとうじうじ気にしていたのがばからしいほどにあっけないもので、自分のことなど周りはそんなに気にしていないのだ。

そうしたところで、自分にたいする印象などがたいして変わるものではないし、それで憤慨して離れていく人がいるならそれはそれまでだ。わかる人にはわかるわけでなにも恐れる必要はない。

言いかえれば、自分の正直な気持ちを言ったことで離れる人、変わらずつきあえる人、自分に嘘をつかずつきあえる人が選別できる。

誤解のないように、選別しろと言っているのではなく、離れる人がいても気にするなということ。

そんなふうに、周りの反応はたいして変わらないのだが、自分は劇的に楽になる。ほんとうにびっくりするくらい楽になる。

正直なコミュニケーションをとることでより信頼しあえるし、関係は楽しいのもとなるはずだ。

自分の正直な思いを伝えるということを考えたとき、そこに怒りや恨みがあるとしたらどうだろう。それも正直に伝えるべきなのか。

まずはその感情がどうしてあるのか、自分の中を探らなくてはならない。相手がどうこうではない。思い込みや不要な観念はないだろうか。

そうしてみて伝えたかったら伝えればいいと思う。感情をぶつけるのではなく冷静に伝えられるのなら。

だれかにたいする怒りや恨みがあるならば、それをぶつけるのではなく、自分の中を深く深く見つめることが先決だ。

そしてもうひとつ。

自分がなぜほんとうの気持ちを言えないようになったのか、自分の中を見つめる。

内省・内観して原因を探り納得して手放す。

自分に正直であることは、自分をとてもとても楽にする。

love & peace & thanks & blessing!!!

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