2020年春分、ゲートは閉まったのか? 〜アセンション第三期

春分のエッセンスやらセッションやらで忙しくさせていただいていて、とてもありがたく感謝の気持ちでいっぱい。

だけれど、更新が滞ってしまい不徳の致すところ痛恨の極み。

早速春分エッセンスをご注文の方々からご感想などをいただいて、掲載に快くご了承いただいたのでVOICEページを更新。

VOICE

掲載の打診をすると、「お役に立てるなら」「お役立てください」とみなさん快くご了承くださって、その愛の心地よさに誠に勝手ながらハグして回っている。(気持ち悪くてごめんなさい)

みなさん、ほんとうにいつもありがとうございます。

さて、ちまたでは「2020年春分にゲートが閉まる」みたいな情報があるようで、それについてのあたしの見解を書いてみたい。

できれば春分前に書きたいと思っていたのだが、バタバタしていて書けず、だけどこの時期に書くことになった理由がちゃんとあり、新たな情報をいただけてそれも書く必要があったのだな、となっている。

ちょっと前の記事に書いたのだが、昨年夏のアセンションイベント、昨年末のアセンション第二期、これの地球への影響が今年の春分くらいまでつづくな、と思っていた。

実際、春分くらいには高次元がなごやかに打ち上げの宴会をしているような雰囲気だった。なんともおだやかにお花見でもしているみたいな。

なので、春分でひと段落で打ち上げ、と思っていたのだが、どうもアセンション第三期みたいなことが起こっているらしい。

このサイトでもよくでてくる、地球のアセンションに多大なる貢献をしたかたからの情報。いつもほんとうにありがとうございます。

昨夏のアセンションイベントのときには、わっしょいわっしょいお祭り騒ぎで超ハイテンションであった。宇宙が待ち望んでいたやっとやっとの地球のアセンションだったのでやんややんやと大騒ぎだったが、それを通り越したからか、今回はそれはそれは落ち着いたものでなごやかに進んでいる模様。

イベントしては昨年で終わったんじゃないのお?と我がメインガイド不動明王さまに聞いたところ、第二期のときもそうだったけど予定していないことが起こっている、とのこと。

もちろん今回のことを企図した存在がいるわけだけども。ほとんどの高次元存在も「聞いてないよ〜」ということらしい。

ま、いつでも予定は未定である。

今回の第三期は、2月25日からはじまり、春分に大きく動いて3月31日で終わりの予定。

これまでとちがうのは、亡くなって幽界にいらっしゃるかたもアセンションしている、ということだそう。(地球のアセンションに多大なる貢献をしているかたからの情報)

その中のおひとりがあたしと話したいということで、お話しさせてもらった。個人的なことなので書かないけれど、楽しい会話だった。

さて、前置きが長くなったが、ゲートの話である。

調べる気もないのでよくわからないが、「2020年春分でゲートが閉まる」「ゲートが閉まりはじめる」そんな情報なのかしら。

あたしはこの「ゲートとか扉が閉まる」という表現があまり好きではない。

実際のところ、二極化は極端になっているとは思う。

愛と調和への意識、と、物質的な意識、の。

それはそうなのだけど、それをもうこちら方面へのゲートや扉が閉まりますよ、とは言いたくない。

そういう話がでているということはなんらかで必要なのだろうが、閉めだすみたいで「そげん言わんでも」である。(博多弁で失礼します)

もとはといえば、高次元存在からの情報なのだろうが表現がなかなか乱暴だ。

そういう話をしている人を批判するつもりはなく、その人にとってはそれがぴったりな表現なのだろうし、人類を早く覚醒させたい高次元存在の意図などもあろうからなにもだれも責めるものではない。

ましてや嘘の情報だ、などと言うつもりもない。

どのような情報であっても、受け取る側の自由であり、精査するのは自分だ。

そこで私の見解。

ゲートや扉はない。

ないものは閉まらない。

ただ、上にも書いたように二極化は極端にはなっている。

そしてある時期を過ぎると、こちらを選ぶことがむずかしくなるかもしれない。

そういう意味では、こちらを選ぶのかあちらを選ぶのか、自分の中で選択をすることは必要だろうと思う。

それがアセンションにつながるかどうかは、人生計画(ブループリント)のこともあるしどうなるかは人それぞれだが、単純にどちらを選べば自分は生きやすく楽しい人生になるのだろう?ということである。

重い波動の中で生きる、軽い波動の中で生きる。

自分は重い波動の経験がまだまだ必要で、その重い波動の中でなにかを成し遂げたい、という人もいるだろう。

自分はなるべく争わず、みんなと協力しながらおだやかになごやかに生きたい、という人もいる。

どういう意識でいるのか、アセンションしようがしまいが、なるべく楽しい今回の人生であるように選択をする。

誤解してほしくないのは、二極化のどちらかが善くてどちらかが悪いと言っているのではない。

こちらを選ばなくてはいけない、と言っているのでもない。

なにを選ぶかはあなたの自由だ。

もちろん選択をしたところで、人生計画によっては選択しなかったほうに引っぱられることもあるかもしれない。それが計画ならばしかたがない。

自分はこっちがいい、と選ぶということは、少なくとも自分を尊重し大切にしている行為だ。選ぶことで自分の中で芯がバシッとできて選んだことにともなう行動ができるようになるだろう。

なにを選んでも自分で選んだことなのだから、正しい道なのである。

love & peace & thanks & blessing!!!

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