なにごともタイミング

気づけばもう2月。

Twitterで自分としてはこれまでにないほどツイートしまくっているのだが、短文で表現することはなかなか勉強になるものだと、いまさらな感想。

日本語は同じ意味でもいろいろな表現がある言語なので、選ぶ言葉に気をつけつつ、短文でわかりやすくはなかなかむずかしい。

いろいろな使い方があるツールだろうが、あらためて少しばかりでもどなたかのお役に立てたら幸い。

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パソコンでの表示がこんなにでっかいのはなぜ。

もうひとつ、以前「魂の系統」著者記録者スナオさんとの共同プロジェクトのことをちらりと書いていて、ふんどしを締めなおして、などと鼻息も荒くお伝えしていたが、自分の持ち分がなかなか進まず記録者スナオさんにはご迷惑をおかけしている。

新しい年に入り気合いを入れてと思っていたら、さらなるお手伝いが発生し、さらにふんどしをきつく締めなおさなくてはならない。ねじり鉢巻きも前で結ぶ。(前で結ぶほうが気合いが入ると思うがどうか。「知らんがな」と言いますか、そうですか。)

さて、本日は「タイミング」について思うことをつらつらと。

こういったサイトを訪れる方々は、「なにごともタイミング」ということは重々承知してらっしゃることと思う。

宇宙の真理だと「必要なタイミングで必要なできごとがあって必要な経験をする」ということであって、そういう情報はあちらこちらで言われていることだ。

一方で、わかっているけど気がつけばもがいている、みたいなことも多々あるのではないかとも思うのである。

魂として早く進化したい、自分の使命を全うしたい、どうして楽にならないのか、内省・内観をしなきゃならないのに、などなど、「んもう!」みたいなことに陥っている人がいるのではないだろうか。

おわかりのとおり、ものごとにはタイミングがある。

気持ちはとてもよくわかるが、焦ってももがいてもしかたがないのである。だってタイミングではないのだから。

このサイトでは魂としての進化へ向けてのこと、生きやすくなるためのことなど、あたしの経験を交えつつ書いていて、おおまかに言うと、すべては「自分を見つめること」、内省・内観だ、とお伝えしている。

このサイトに出会ったからには必要な情報であろうし、記事を読んで実践しようと思ってくださった方々がいるのはとてもよろこばしい。

しかしながら、内省・内観がよくわからない、うまくいかない、だけどやらなきゃと思いつめて辛い苦しい、みたいなことは本末転倒だ。

生きやすくなるための内省・内観なのに、辛くなるようではそのタイミングではない、ということだろうと思う。

修行のようなことなので、人によっては苦しんで苦しんでたどり着く、ということが必要な経験、のような場合もあるだろう。

そこは自分の感覚でどう思うのか、自分で見極め判断する。

どんなに苦しくても自分にはいま必要だと思うのか、すんなりやれるタイミングがくるのを待つのか。

あたしの場合も、すべてはタイミングであったと心底思う。

だれに言われたわけでもないが、あるきっかけから自分のことを知るために自分の生まれるまえからを振り返り、そういう自分はどうしてこういう感情を抱くのかと自分を掘りまくり、やってみようとはじめたことでさらに自分を見つめることになり、肉体のことを気にかけなくてはならないできごとが起こり食事や使うものを選ばされ、と、次から次へと流れていってどんどん自分が研ぎ澄まされていった。

それはすべていやいやでもなく辛くもなく、楽しんでできたことだ。

普通に日常を過ごしながらいろいろやらされて、すんなりやれて、そういうタイミングなんだなぁ、と思っていた。

このサイトでもセッションでも「内省・内観が必要」とお伝えしていて必要なのは確かだが、それも人それぞれタイミングがあることだ。

苦しくてもやらなければならないと判断した人は別にして、できないときに無理矢理せずともできるタイミングでやればいい。

できないのがダメだと思わずに、いまのそのままを受け容れて、気楽にこの瞬間を楽しんでほしい。

それよりも先にやることがあって、それが解決なり終わったらすんなり進めるのかもしれない。

内省・内観のことばかりになっているが、そればかりではなくてすべてにおいてだ。

やろうと思うのになぜか邪魔が入り進まない、いまはそれではなくこちらと言われているようなできごとがつづく、後回しにするつもりだったことを先にやらされる、などなど、そういうことがある。

そういうときは、逆らわずに流れにまかせていたら絶妙なタイミングで流れていく。自分が立ててきた人生計画(ブループリント)に沿って進んでいく。

それは劇的な人生ではないかもしれない。

なにかすごいことを成すような人生ではないかもしれない。

だとしても、それは自分で決めてきたことだ。

そしてどのような人生であっても、けっしてつまらないものではない。

楽しいかつまらないかは自分の意識次第。

自分がどんな計画を立ててきたか忘れているから楽しいのだ。

先になにがあるのかを楽しみに、流れにまかせて今日を、この一瞬を楽しむ。

となると、それが連続しているだけなので、ずっと楽しい、ということになる。

なんか話が逸れてしまったが、要はそれぞれのタイミングで必要な経験をするので、考え込まず直感・直観でそのときにやりたいことをやって、もっと気楽に自分であることを楽しんでいいのでは、というご提案。

もちろん生きやすくなるためには内省・内観なので、いろいろなものを手放すために一生やっていくものなのだが、肩の力はもっともっと抜いてとお願いしたい次第。

で、なぜだかこの記事を参考までに。

タイミングへの嗅覚だとか、自分の感覚を研ぎ澄ますためには、自分をよくよく観察すること。

それも一種の内省・内観である。

そして自分の感覚を信じること。

だれがなんと言おうと、自分の感覚が一番である。

love & peace & thanks & blessing!!!

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