奉仕と自己犠牲

前回の記事で、説明のために父親のことを書かざるをえず、死後も大いに学ばねばならないひどい父親、みたいにとられかねない書きかただったことを若干反省。

彼の名誉のために、家族との関係は課題が多かったが、若いころはモテたようだし、ある時期からは会社のために懸命に働き仕事先での評判もよく、家族の知らないところでは素敵で魅力的な男性だったのだろうことを書き添えておく。

そして、自分で選んだ父親から受け継いだ資質や性質は、今生たしかに必要であり心からの愛と感謝と敬意と祝福を捧げる。(父親よ、これでよかろうか)

本題まえに、またまたうれしいご報告をいただき、VOICEを更新。

昨年ご懐妊されたことをご報告いただいてVOICEに掲載したかたが、無事にご出産したとのこと。

対面セッションで初めてお会いした日に私からお子さんのお話をさせてもらったのだが、なんとご出産がまさに一年後の同じ日。あたしまで幸せのおすそ分けをいただいた気分。

あたしなんかに報告しようと思ってくださったお気持ちがとてもとてもうれしい。

ご掲載にも快くご了承いただき、ほんとうにありがとうございます。

本題まえに長くなっているが、もうひとつ。

生意気にも記事の最後にSNSなどでシェアできるボタンを設置した。

それぞれのボタンをクリックすれば、みなさんのSNSなどで簡単にシェアできる?ものなんでしょ?きっと?

というわけで、シェアしたいとお思いになる記事があれば、どうぞよろしくお願いいたします。

あと、一応Twitterもやっていて(メニューや画面一番下のコピーライトの近くに小さくご案内)、これまでほぼ記事更新だけをあげていたが、もっとつぶやかなくてはならないらしい。

記事に書いているようなことを要点だけ、などになるだろうが、長々とした記事よりも短文だとすんなり入ってくる場合もあろうかと思う。フォローはさておき、たまにのぞいていただけたら。

さて、やっと本題。

本日はこれまでの記事中にもチラチラとでてきていた「奉仕と自己犠牲」について書いてみたい。

何度も書いているが、こういうサイトを訪れる人は「人のため、地球のため、宇宙のためになりたい」と思っている人が多い。

セッションで個別にお伝えしたことも多々あるが、その「人のため」に「奉仕したい」と願い、自分が選んでやっていることが「自己犠牲」になっていることがある。

これまた何度も書いているが、

「奉仕」は気持ちよくできる。

「自己犠牲」はヘトヘトに疲れる。

人のためになにかしたい、人の役に立ちたい、と思っていると、とりあえず自分のことはさておいて、という場合が多い。

身近なところでは家族のため、友人知人のため、上司や同僚のため、彼ら彼女らの笑顔や幸せのために、大切な人たちが幸せであることが自分の幸せ。

その思いはすばらしく、そう思える自分を大いに愛でていただきたい。

ちょっと話が逸れる。

イエスさんは「隣人を自分のように愛しなさい」とおっしゃったが、この教えはとてもすばらしく、他者への思いやりはすべてへの愛へとつながる。

一方でこれはとても欧米的だなと思う。

もちろん日本人にとっても身にしみる教えなのだが、日本人の一定の人たちには「隣人のように自分を愛しなさい」とも言いたい。

他者へ向ける愛や優しさを、どうぞ自分にも向けてほしい。

話が戻る。

自分のことはさておいて、これは大きなかんちがいである。

自分のことをさておくと、それは自己犠牲だ。

自己犠牲は日本人の美徳であり、それは尊く美しい物語になりうるし、自己犠牲で散っていった命を無駄などとは思わないが、自己犠牲せずとも人のためにはなれるのである。

考えてもみてほしい。

あなたの周りのだれかが自己を犠牲にしてあなたや他者のためになにかをしていて、とても疲れているように見えるとする。

あなたは「こっちのことはいいからどうぞ休んで。自分の心身を一番に心配して。」と思わないだろうか。

助けてくれたり手を貸してくれるのはとてもありがたく心強くうれしいが、そのためにその人が倒れるなんて、だれも望んでいない。

自己を犠牲にして尽くしているあなたの周りの人もそう思っている。

かたや「あなたはそういう人だもんね」とまったく気にされていない場合もある。

こちらが身を粉にしてヘトヘトになりながら周りのために動いているのに、そういう人、ということで、慣れている周りからは特に感謝されることもない。

感謝してほしいからやっているのではないし見返りを求めるつもりもないのだが、ちょっとさびしい。

自分が望んでそうしているのにとても疲れる、それは自分を尊重していないからだ。

周りを尊重しているつもりだが、それは「尊重」ではなく「遠慮」だ。

自分を尊重せずして、ほんとうの意味で他者を尊重できない。

まずは自分を尊重し心身が健康であってこそ、それは気持ちのいい「奉仕」となる。

自分の正直な思いを伝えながら、他者の思いも尊重し、無理せずいまできることを手助けしたり手伝ったりする。

なんでもかんでも、やらなくていいことまでやってあげていたら、その人が学ぶ機会を奪うことになる。信頼してまかせることも必要だ。

奉仕は大変なものではなく、お互いが癒されるものである。

自分を尊重し自分に貢献し自分を愛すること、それが他者への地球への宇宙への奉仕の第一歩だ。

love & peace & thanks & blessing!!!

奉仕と自己犠牲」への2件のフィードバック

  1. はじめまして。
    arto(またはartolia)と申します。

    半年くらい前からたびたび訪問させていただき、
    記事を読ませてもらっています。
    いつもありがとうございます。

    「なるほど」と思う内容が多く、上記記事についても
    自分もほぼ同意見です。
    ツイッターの方に記事をリンクさせていただきました。
    https://twitter.com/artolia

    今回は感謝と応援を込めて、コメントした次第です。
    これからもちょくちょく訪問させていただきます。ではでは。

    1. artoさん、
      コメントをいただき、ありがとうございます。

      サイトにたどり着いていただいて記事を読んでくださって、とてもうれしく思います。
      そのうえ記事をリンクしていただいたとのことで、重ねてお礼申し上げます。

      そして感謝と応援を込めてのコメントということで、お気持ちをしかと受け取りました。
      こちらこそ心より感謝申し上げます。

      今後もお役に立てるよう精進いたします。
      このご縁に心より感謝いたします。
      ありがとうございました。

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