すべての答えは自分の中にある

またまた日が開いてしまい、痛恨の極み不徳の致すところ。

さてさて、みなさんの秋分はいかがだっただろうか。

あたしはお申し込みのあった秋分エッセンスをせっせと作っておったわけだが、思いのほか秋分のエネルギーが強烈で、前日からぼわんぼわんしていて秋分ってこれほどパワフルだったかしらん、と思いつつ、そういえばこれまで春分夏至秋分冬至のエネルギーをそこまで意識せずに過ごしてきたかも、と思った。

普通に過ごして「今日はやっぱりなかなかすごいな」とかなんとか感じたりはしていたが、今年季節のエッセンスを作るようになって、そのエネルギーを感じてエッセンスに注入することをしてみて、どういうエネルギーかをきちんと認識したように思う。

もちろんエッセンスを作らずとも、じっくりとエネルギーを感じてみればみなさんにもわかることだろう。

あたしの感じた秋分のエネルギーは、潔くまっすぐに降りてくる力強いひとすじのシルバーの光かと思うと、霧雨のようにゆっくり優しく降り注ぐシルバーの光という感じで、とてもとても力強いながらも柔らかで温かくて優しく包んでくれるような、そんなエネルギーだった。

今年は春分夏至秋分ときちんと感じてみたが、秋分が一番パワフルだったように思う。これはその年によってもちがうと思われるが。

冬至がどんなエネルギーか楽しみだ。

秋分のエネルギーを存分に感じながら、手にした人の役に立つようにと愛と感謝と祝福を捧げるエッセンス作りは、とても楽しく幸せな時間だった。

お申し込みいただいたみなさん、ほんとうにありがとうございました。どうかエッセンスがお役に立ちますように。



と、前置きが長くなったが、本日の記事へ。

このサイトの記事のいたるところにでてくるが、きちんと書いたことがなかったことを本日は。

「すべての答えは自分の中にある」

これについて、みなさんどう思うだろう。

さまざまなスピリチュアル情報に触れ、内省・内観が大切そうだ、みたいなことがわかってくると、どうもそうらしいと頭では理解することと思う。

いろいろな段階の人がいるわけで、それぞれの理解でいいのだが、頭では理解しているもののなかなか実感できない人に、理解が深まるように説明できたら、というのが今回の趣旨。

「すべて」というのは、もうほんとうに「すべて」なのだが、ここでは自分に関することで話を進めたい。

あなたが今回この世に生まれ、成長しながらいろいろな経験をして、いまこの記事を読んでいるわけだが、いまのあなたであるすべての答えがあなたの中にある。

いまのあなたがどのような状況であっても、そうである原因も理由もあなたの中にある。

いまあなたが辛かったり、苦しかったり、不幸だと思っている場合、なぜそうなのかの答えは自分の中にある。

「辛い」「苦しい」「嫌だ」と思っているのは自分だ。だれかに強制されたわけでもなく、自分が生み出しているものである。

自分が思うことや感情は自分が生み出しているのだから、なぜそう思うのか、なぜその感情になったのか、その答えは自分の中にある。

辛くさせているのはあの人なのに、苦しいのはこの環境が、などと思うかもしれない。

過酷なように感じるできごとや環境にあったとしても、それをどう思うかは自分で生み出している。まったく同じ環境にあったとしても、思うことは人それぞれである。

たとえば、会社で希望ではない部署に異動させられ、そうやりたくない仕事をしなくてはならなくなったとする。

1.「これも流れだし、こういう仕事にチャレンジしろということかな」と、はりきる。

2.「そろそろこの会社は潮時で、新たな方向へ進めということかな」と、次に目を向ける。

3.「なんで自分がやりたくない仕事をしなければならないのだ。きっと上司の嫌がらせだ」と、憤る。

4.「適性を見極められない上司たちの目は節穴だ。やっぱりこの会社ダメだ」と、嘲る。

このように、人によって思うことはいろいろだろう。

こう思うのがダメで、こう思えるようにならなくてはならない、などということではない。

同じような現実を目の前にしても、思うことはいろいろで、その思うことは自分が生み出している、と言いたいだけだ。

どう思おうとそれぞれの自由なので好きなように思えばいいのだが、上記の例でいうと、なにかできごとが起きて、3と4のような反応をしていたら、どうにもそのうち自分が苦しくなる。自分で自分を苦しめているということ。

いやいや怒りを力に変えて、とか、だって会社がバカなんだもの、などがあるかもしれないが、怒りは消耗するし、嘲りは悲しい。

そして怒りや嘲りがあるのだとしたら、その感情が起こった原因も自分の中にある。

自分が生み出した感情の原因は自分の中にある。

自分の中にある固定観念や思い込み(ジャッジメントや比較など)での判断が、その感情を生む。

その感情の原因となった固定観念や思い込みの原因も自分の中にある。

家系、環境、時代、それぞれさまざまな背景で生きてきて、大人たちに植えつけられたり、情報に影響を受けて自ら培ったり、そうして固定観念や思い込みが自分の中に根を生やす。しっかりと。

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いまの自分である原因はすべて自分の中にあるのだから、なにかを解決したいなら自分の中を深く見つめてみればいいのだ。

いいのだ、と言われても、それがなかなかできることではないことは知っている。

だから、あたしは同じようなことを書きつづけている。

今回は自分に関することを書いたが、もうほんとうに「すべて」が自分の中にあるのだから、人生とは「自分を見つめること」であり、進化とは「自分を見つめること」である。

そして「自分がすべて」であり、「すべてが自分」なのである。

love & peace & thanks & blessing!!!

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