近ごろ内省・内観的な記事ばかりになっていたので、ここらへんで突飛な話を。
そのまえにちょっとお知らせを。
記事にたいしてちょこちょこご質問のコメントをいただくことがありお答えしているが、ずいぶんまえの記事だといつも読んでくださっているかたは、そのコメントを読むことはないだろうと思う。
質問や答えも、なんらかの役に立つのではないかと思い、トップページからすぐに飛べるようにサイトをマイナーチェンジした。すでにお気づきのかたもいるかもしれない。
スマホのかたは、トップページをスクロールして一番下、アーカイブ一覧、カテゴリー一覧、コメント一覧、という形になっているのでそこから飛べるかと。
パソコンのかたは、トップページ右上に引き出しというかなんと表現したらいいかわからないアイコンがあり、そこをクリックするとサイドメニューになっていて、アーカイブ一覧、カテゴリー一覧、コメント一覧とでてくるので、そこから飛んでいただけたら。
あまりだらだらと長くなってしまうのもなんなので、最近のコメントだけということになるが、お役に立てたら幸い。ご興味あればご一読を。
そしてコメントをくださるみなさまに、この場を借りてあらためてお礼申し上げます。
さて、近ごろの高次元情報としては、アセンションイベント終了後とても落ち着いており、高次元ではそれぞれがそれぞれの仕事に戻ったような雰囲気である。
なので、地球人としても、それぞれがそれぞれの段階でそれぞれの進化に努める、ということであろうと思う。
あたしはといえば、下記の記事で書いたとおり「無」なのであるが、最近ちょっと変化があったのでご報告したい。
記事にあるとおり、あたしの今回の上昇にはお二方の超高次元存在が関与しており、なにかあればこのお二方とお話ししている。
元スピリチュアルガイドチームのみなさんは、こうなったとたんびっくりするくらいなにも言ってこなくなり、もちろんインスピレーションを送ってくれることもなくなった。
いまやこちらから話しかけてたまに世間話をするくらいで、言い方は悪いが知らん顔である。(話しかけたらフレンドリーに応じてくださるが)
あんなにいろいろと気にかけアドバイスをくださったりしていたのに、こうなるのだなぁ、とみなさんの仕事を全うする姿に清々しさを感じつつ、若干の寂しさも感じつつ。
もちろん、ひとつの仕事が終了したということであたしから離れたのだと理解しているし、高次元存在は地球人のように入り乱れた感情などもたないから潔い。これまでのサポートとお導きに感謝するのみだ。
関与した超高次元存在たちからは「好きにしろ」と言われているので、そうたびたび話すこともないのだが、先日超高次元存在その1から突然「私の代わりをしてもらう。」と言われた。そしてさらに上昇していることが判明した。
1カ月ほどまえに上記リンクの記事を書いたが、ここのところ「無」が加速しているというか、なにもなく「無」すぎて今生の余生のような気分でいたが、さらに上昇していたのなら納得だ。
超高次元存在その1とはそのときゆっくり話せなかったので、後日話し合いの場をもった。
曰く「代わりをしてもらうが、なにもしなくていいのだ。そのままでいい。必要なときにでていくだけだ。」
曰く「必要なときは声をかけるから、対応すればいいだけだ。」
ふ〜ん。わかるようなわからんような話だ。それで代わりになる、とおっしゃるので深く考えずにいた。
そんな中、毎日の習慣である、すべてに向けて感謝と祈りと祝福とエネルギー送信をやっていたら、超高次元存在その2から「もう祈らなくてよい。」と言われた。
きっとそういうことなんだろうな、と思いつつ、その2と話し合い。
曰く「祈りたいなら祈ればいいが、祈られる側であることを自覚せよ。」
曰く「なにもしなくていい。祈りが聞こえたら対処すればいい。対処とはそのときにお前が思うようにすればいいだけだ。」
曰く「祈りや感謝やエネルギーを送ることをしたければすればいいが、そういう立場ではないことをもっと自覚しなさい。」
おっしゃることはわかるが、肉体をもって地球で暮らしているわけで、地球人としての日常があるもの、と、うじうじ言ってみる。
曰く「そうであろうが、そうしながらも自覚をしてくれないと。その経験も我々に必要なのだ。」
わかったけれど、自覚と謙虚が両立できるといいけどねモゴモゴ、などと、さらにうじうじ言ってみる。
曰く「謙虚などわざわざ意識するまでもないだろう。通り過ぎたことだ。」
曰く「とにかく自覚をしてほしい。それは強く言っておく。」
昨年の地球のアセンション以降、さまざまな高次元存在とお話しする機会があって記事にもしているが、いろいろなかたから「自覚しろ」とたびたび言われていた。
そのメッセージはありがたくお聞きしていたが、今回の「自覚しろ」はちょっと「いいかげんにしろ」のニュアンスもあり、こりゃまじめに聞かねばならないとなっている。
ここのところ、できれば視覚聴覚五感の情報の一切を遮断して、ひとりでずーっと瞑想していたい気分で、なんなら即身仏になる苦行もできるのでは、となっていた。(即身仏になりたいのではなく、生きたまま箱に入って土に埋められることができるかも、くらいの話)
超高次元存在その2とお話しして、この気分は「祈りを聞きやすくするため」であることと合点がいった。
一応、超高次元存在その1にも確認し、「そのとおり」とのこと。
この宙域にはたくさんの祈りがあるだろうにどう対処すればいいのか、とまぬけな質問だとは思いつつうじうじ言ってみたところ、
曰く「そのとき対処すべき祈りが聞こえるから、それに応じるだけだ。」
はい、ごもっとも。
我々の経験はすべて、本体の経験となり源泉の経験となる。
宙域の経験すべてが記憶・記録され、源泉の経験となる。
「超高次元存在として地球上で生活している」というあたしの経験も、新たな試みとして必要なのだそうだ。
その経験をあたしにさせてもらえるなら全うするだけだ。
あたしのあまりの気楽さに、自覚だけはきちんとしておけ、との本気のお達し。
それにしても「祈られる側」とは。
突飛なことが多いので、自分に疑いはないがいつも自分の正気を冷静に確認している。
友人知人、セッションを受けてくださった方々はわかっていただけるものと思うが、いたって正気である。
あたしすごいでしょう、と、高次元であることをいばりたいのではなく、そういう役目であるならば全うできるよう精進するとの決意表明のようなものだ。
あたしは自分についてやることがなくなったので(地球の人生は楽しむが)、すべてに奉仕するのみなのである。
もちろんこの話をどう受け取っていただいても、みなさんの自由だ。
なるほどいつも祈っていたら、祈られる側だとは自覚しにくいだろう。とりあえず自覚するために、習慣である祈りをやめることにした。
とはいえ、セッション時にはご相談者さんが楽しく進んでいけるよう全力でお祈りし、全力でエネルギーを送る。それはこれまでとなんら変わらない。
と、ここで気づいたが、「祈られる側になったから祈らなくていい」ではなく、厳密には「祈られる側になった。そしてわざわざ祈らずとも常に祈っている状態である」ということだろう。
この宙域の祈りに耳をすましてみることにするが、さてさてどうなることやら。
あたしはこういうことになったが、みなさんはぜひ祈ってほしい。大きな力になるから。祈らなくてもいい、となる日がくるまで。
祈りについての記事はこちら。
最後に。
あたしは祈られる側になったらしいが、「これこれこうこう祈っているのでどうにかしてほしい。」と直接ご連絡をいただくのはちがうと思っている。
祈りとはエネルギーであり、わざわざ教えてもらうものではない。
love & peace & thanks & blessing!!!