好きなことやりたいことをする、を考察

みなさん、好きなことやりたいことをしているだろうか。

本日は、好きなことややりたいことをする、ということについての考察。

今回このことについて書こうと思うに至ったきっかけがあったので、少々おつきあいいただきたい。

先日、あたしの大好きな昆虫をあつかったテレビ番組を見ていて、ふと「虫眼鏡を買おう!」と思いたった。

虫眼鏡で昆虫や植物を観察することを思うと、静かなる興奮と止まらぬワクワク、そして、大人になってから何十年も経つのになぜそのことに思い至らなかったのかと地団駄をふんだ。

あたしは子どものころから昆虫が好きだった。

蟻の行列を飽きることなく凝視し、カマキリの孵化に遭遇して歓喜し、セミの幼虫が土からでて羽化を始め成虫になるまで5時間ほどつきあい、ダンゴムシの赤ちゃんがでてくるのを目撃し興奮した。(ダンゴムシはお腹の保護嚢に産卵するので卵を抱えたままでいて、孵化すると保護嚢を破って赤ちゃんたちがでてくる)

大人になってからはカマキリが産卵中にカメラ目線での撮影に成功した。約半年後にその卵から孵化した赤ちゃんカマキリも撮影。(自慢)

それなのにそんなあたしなのに、お金のなかった子どものころはいざ知らず、大人になって虫眼鏡を買おうと考えたこともなかった。

社会人になった20代は虫眼鏡どころではない。自分を飾ったり食べたり飲んだりチャラチャラと忙しい。昆虫の観察どころではない。

その後チャラチャラは落ち着く歳になりときどき昆虫は観察していたものの、それでも虫眼鏡を買おうとは思わなかった。なぜ。

しかし時はきて、とうとう虫眼鏡を買うことに思い至った。

昆虫だけではない、植物も観察できる。

子どものころから好きだったこと楽しかったことが、時を経てもう一段階楽しくなりそうな予感に心躍る。

少しまえに「無、なにもない」「厳密に言えば感情もなくなったかも」とか書いておきながら感情的な表現をすると、物議を醸すかもしれない。(醸さないのは知っています)

説明がむずかしいのだが、「無、なにもない」ながらも静かに興奮し静かにワクワクしているのだ。

なんのこっちゃな話だが、もう少しおつきあいください。

虫眼鏡、本来であれば専門店の門をたたきあれこれとのぞいて買いたいのだが、この時世ではそうもいかない。

昆虫や植物観察に適した倍率は、その倍率ならどれが高性能か、などなどネットで調べまくり、ああでもないこうでもないと数日間さんざん検討して決定し注文した。

早く届かないかしら、いや、いま宅配業者さんたちは大変だからそう急がずでも、とはいえ、早く届いたらとてもとてもうれしい、などとワクワクしている。

あたしは道具好きなのだ。せっかく買うのなら少々高額でも愛着をもって長く使えるものを買いたい。道具にはこだわるのである。

倍率のちがうもうひとつをきっとすぐに買うのだが、とりあえずまずは注文したものが届いて使ってみてからにしようと自制している。

道具好きなので、そのうち夜の観察用にヘッドライトとか高性能ペンライトとか、動きの早い昆虫に少しの間入っていただく透明度の高いガラスの入れものとか、さらには森にでかけるためのウェアやリュックや靴とか、森で夜の観察をするならキャンプ道具も、そのキャンプ道具を積んで森に行くなら頑丈な四駆を、などなど、お金はないけど夢は広がるのである。(たぶんキャンプは行きません)

みなさんにはどうでもいい話を長々と申し訳ない。

なにが言いたいかというと、好きなことややりたいことをする、というのはそういうことだということ。

シンプルに自分が楽しいと思うことをするだけのことだ。

そこを複雑にしてしまったり考え込んでしまう要因に「それを仕事にする、それでお金を得ようとする」ということがある。

それはとてもよくわかるし、そうなるにこしたことはないのだが、そこを考えてしまうとシンプルに楽しいだけではなくなる場合が往々にしてある。

考えてもみてほしい、幼いころ夢中で遊んだこと楽しかったことは仕事でもなく稼げたわけでもない。(楽しく稼いでいる子どももいるがそれは別として)

お金は関係なく、ただただ自分の好きなことをして楽しんでいただけだ。裕福でなんでも与えられていた人もいるだろうが、たいていはお金をかけずにできる範囲で楽しんでいたはずだ。

人それぞれの幼少期があるので、そうそう楽しめなかった人もいるだろうが、そういう中でも、なにか好きなことがあったのではと思う。本を読む、絵を描く、ひとり散歩道の景色、きれいな石を見つける、歌う、踊る、走る、などなど。

とりあえず、仕事にするとかそれで稼ぐとかは置いておいて、ただ好きなこと自分が楽しいと思うことをする。生計は立てないとならないので、それはやってみたい仕事だとか、お金を稼ぐための経済活動と割りきった仕事をやっておく。

そうして楽しんでいると、新たな出会いがあったり、別のことに派生していったり、おもしろいアイディアを思いついたりと流れていく。

うまくいけば、その好きなことやりたいこと楽しいことが仕事になり稼げるようになるかもしれないし、一生趣味の範囲で終わるかもしれない。

たとえお金にはならずとも、自分の好きなことやりたいこと楽しいことをしつづけるということは、心はとても豊かでいられる。

本来、自分の好きなことやりたいこと楽しいことに、お金を得るということは関係ないのである。もし得られたとしたら副産物みたいなものであって、それが目的なのではない。目的は楽しむことだ。

好きなことやりたいこと楽しいことがわからなければ、自分を知ること。

参考記事

アセンションに向けて 〜自分を知るということ

純粋であった子どものころや多感な時期になにが好きでなにに興味があってどんなことを楽しんでいたのか、そういったことがヒントになる。

なにも考えず、好きなことやりたいこと楽しいことをする。

ただ自分が楽しいから。とてもシンプルである。

あたしは高性能虫眼鏡で昆虫や植物観察をする。ただ好きだから。

love & peace & thanks & blessing!!!

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