ずいぶんまえに「内省・内観のやり方」の記事を書いたが、できないという人は多い。
どうすればいいのかわからない、できているのかわからない、うまくいかない、などなどあるのだろう。
我流ではあるものの案外わかりやすく書いたつもりでいたが、そういう声が聞こえてきたからにはもう一回書いてみるか、と鼻息も荒く思った次第。
案外わかりやすく書いたつもりの記事はこちら。
同じようなことを書いてもしかたがないので若干切り口を変えてお送りしようと思うが、内省・内観のやり方を書くわけなので重複することもあろうことはご容赦いただきたい。
また、そもそもなんで内省・内観しなきゃならないの?と思うかたはこちらもどうぞ。
かんちがいしていただきたくないので書くが、内省・内観を強制するものではなく、魂として進化したいなら、いま楽になりたいなら、やってみてはどうでしょう、という提案だ。
あたしは経験から自分の人生を楽にするには内省・内観が一番必要なことだと思っていて、楽になって生きているのが楽しくなったその先に魂の進化やアセンションがある、と思っている。
だけれど、やるもやらないも、みなさんの自由である。
上記リンクの修行の記事にも書いているが、なかなかむずかしいしめんどくさいと感じる人も多いのだろうと思う。ときには苦しいかもしれない。だから修行なのだが。
なにはともあれ、あたしはびっくりするくらい生きやすくなって人生ってこんなに楽しいんだ、という境地になる経験をしたからご提案しているだけだ。
さて、こういった記事を読むかたはすでにおわかりかとは思うのだが、まずは、下記のような真理を理解してもらえたらと思う。
- 我々は生まれるまえに人生計画(ブループリント)を決めてきている。
- その人生計画に沿うよう学べるよう生まれる環境を自分で選ぶ。
- 人生で起こることはすべて必要な経験である。そこから学ぶ必要があるから起こっている。
- 人生計画に沿うようスピリチュアルガイドや守護天使が関与して必要な経験を起こすことがある。
- すべての答えは自分の中にある。
- 目の前に広がる世界は自分が作っている。すべては自分の意識次第(捉えかた次第)である。
- 自分の感情は自分で生みだしている。自分以外に原因はない。
- 他者を変えることはできない。自分が変わることで影響を与えることはある。
- みんなちがうのがあたりまえである。
- この宇宙に善悪も優劣も正負もない。したがって常識非常識もない。
- すべてのこと、もの、人、など宇宙のすべてに感謝できるようになれる。
- すべてのこと、もの、人、など宇宙のすべてに愛をもって接することができるようになれる。
- すべてのこと、もの、人、など宇宙のすべてを赦すことができるようになれる。
- 以上のことは、自分が「愛」そのものになることであり、だれでもそうなることができる。
そして、前回書いたばかりだが、自分がどういう人物か客観的に知ることが必要だ。自分を知ることは内省・内観、自分を見つめること向き合うことの第一歩である。
前回の記事はこちら。
前置きが長いがまだつづける。
「内省・内観ができない」ということはどういうことなのか。
いろいろ原因はあるかと思うが、まず上記に並べたような真理が自分の中に浸透していないということが挙げられる。
すべての答えは自分の中にあり、目の前に広がる世界は自分が作っており、すべては自分の意識次第(捉えかた次第)であり、自分の感情は自分で生みだしている。
こういうことが自分に浸透していれば、なにごとも自分の中を見つめるしかないのである。外に原因などないとわかっているのだから。
こういったサイトにお越しのみなさんはスピリチュアルや精神世界に精通してらっしゃるので、文言が多少ちがっても上記に並べたような真理を目にしてきただろうし、頭ではわかっているのだろうと思う。
だけれど、辛い感情になったりしたときに意識無意識かかわらず、外に原因を求めているのではないだろうか。
なにかいやなことがあったときに、自分の中を見つめるよりも、周りにストレスを感じていたり外のことに目がいっているのではないだろうか。
ということは、真理が浸透していないのだろうと思われる。
いつものようにそれが悪いとかダメだということではない。それがいまのありのままのあなた、というだけのこと。
そのうえで、まずはこの真理を自分の中に浸透させることによって、内省・内観がしやすくなるのではと思うのだ。
自分の中を見つめるしかない、すべての答えは自分の中にある、ということを抵抗なくすんなり受け容れてほしい。それがむずかしいようなら内省・内観はできないかもしれない。
なぜ抵抗があるのか受け容れられないのか、ということも、内省・内観することになるわけで本末転倒感が否めないが、ここに抵抗があるということは、それよりもまだまだ3次元的経験をすることが必要であり、正直にいうと「まだ早い」ということだろうと思う。
誤解のないように、それが悪いわけではないし魂的に劣っているということでもない。経験の長短の話である。
そしてだからといって、内省・内観がまったくできないということではないはずなので、ぜひともチャレンジしてほしい。
さあ、やっとやり方である。
上記リンクの記事を久しぶりに読んでみたらけっこういいこと書いていた。以下引用。
そんなに生半可なものではない。自分を掘りまくるのだ、深く深く。
アセンションへと至る修行とはなにか
修行僧が悟りを開くための苦行として、どこかの洞窟とか御堂に何日もこもったりするが、それは物理的に自分と向き合うしかない状況を作っているのだ。食べない飲まないが苦行なのではなく、自分にとことん向き合うことが苦行なのだ。そのくらいのものだ。そこまでしてもほんとうに悟りを開けるのかどうか。
自分を知り自分を見つめ自分を認め自分を整えることは、どこかにこもらずともできる。日常生活をおくりながらできることだ。四六時中自分の中を見つめるのだ。生活しているといろんなことが起こるが、そのときの感情、思考、行動、すべてを見つめる。なぜそうなのかそうしたのかそう思ったのか、常に自分に問う。
自分が感じる辛さや苦しさや楽しさ、すべての答えが自分の中にある。
そういうことなのだが、思っているよりももう一歩二歩深く掘り進めてほしい。
例として「自己受容できない」を内省・内観してみる。
1. なぜ自分は自分を受け容れられないのか?→自分のことがきらいだから
2. なぜ自分のことがきらいなのか?→自分が理想だと思うような人になれていないから(自分と理想の自分を比べている)
3. 理想だと思うような人とはなにか?→成功している人
4. 成功している人とはなにか?→経済的に豊かな人→成功=経済的豊かさという思い込み
5. なぜ経済的に豊かな人が成功者だと思い込んでいるのか?
→・母子家庭で母親のお金の苦労を見て育ったので大人になったらお金を稼ぐと誓ったから
・父親の稼ぎが悪く母親がいつも愚痴っていて「ああはなるな」と言われていたから
・両親から経済的に豊かであることが一番の幸せであると常々聞かされていたから
などなど、人それぞれいろいろな原因があるだろう。
この例でいえば、自己受容できない原因のひとつは「経済的に豊かにならなければ人生の成功とはいえない、と親から思い込まされたこと」である。
これはとても簡単に書いている。
1の自己受容できない理由、2の自分をきらいな理由、3の理想だと思うような人、は、ひとつではないだろうと思う。
そのひとつひとつをさらに深く掘り進めるということだ。これが原因だと納得できることがでてくるまで。
次は「自分の気持ちを正直に言えない」を内省・内観してみる。
1. なぜ自分の気持ちを正直に言えないのか?
→・相手の気分を害したくないから
・自分が言わなければこの場がおだやかにおさまるから
・どう説明していいかわからないから
2-1. なぜ相手の気分を害すると思うのか?→自分が言うことで相手を傷つけるかもしれないと思うから→相手を傷つけたくない→自分が言うことで相手を傷つけるという思い込み
2-2. なぜ自分が言わなければこの場がおだやかにおさまると思うのか?→相手の言うことに賛成しておけば争わなくてすむから→争いたくない→自分が言うことで争いになるという思い込み
2-3. なぜどう説明していいかわからないのか?→いざなにか言おうとしても言葉がでてこない
3-1. なぜ自分が言うことで相手を傷つけると思い込んでいるのか?→幼いころに自分が言ったことで母親がとても悲しんだことがあったから
3-2. なぜ自分が言うことで争いになると思い込んでいるのか?→思春期のころに自分が言ったことで父親がキレて身の危険を感じたことがあるから
3-3. なぜ言葉がでてこないのか?→とても幼いころ今日あったことを母親に話そうとしていたときに「早く言いなさい。忙しいのに。なにが言いたいの?」と強く言われて悲しくなってそれ以上話せなくなったことがあったから
これについてもそれぞれ理由はひとつではないだろうから、もっともっと細かく深くなることと思う。「これが原因か!」と自分が納得できることがでてくるまで自分の内側を深く深く見つめる。
今度はシチュエーションを交えてやってみたい。
「職場で自分はがんばっていてそれなりの成果をあげている。でも、たいして努力もせず成果もあげていない同僚の方が上司から評価されているしかわいがられていて納得できない。それはとてもくやしい。」
先に言っておくと、あたしはこんな気持ちになったことがないので的外れなことを書くかもしれないが、あくまでもやり方、ということでみてほしい。
内省・内観するべきポイントはいくつかあるが、まずは自分の感情を見つめる。
「くやしい」という気持ち。それがあるから自分が苦しい。
1. なぜくやしいのか?→自分のほうががんばっているのに評価されていないから→評価されたい
2. なぜ評価されたいと思うのか?→自分がやっていることを認めてほしいから
3.なぜ認めてほしいと思うのか?→自分はよくやっていると確認できるし褒めてもらいたいから
4-1. なぜ確認したいのか?→他者に確認することによって安心できるから→他者に確認しないと不安
4-2. なぜ褒めてもらいたいのか?→褒められることで自分はこれでいいと思えるから→褒められることで自分の価値を判断
5-1. なぜ他者に確認しないと不安なのか?→自分ではわからないから→他者に自分の評価を依存している→自分のことを自分で認められていない(自己認識できていない)
5-2. なぜ褒められることで自分の価値を判断しているのか?→自分では自分に価値があると思えないから
6-1. なぜ自己認識できていないのか?→自分のことがよくわからないから
6-2. なぜ自分に価値があると思えないのか?→ダメな部分がたくさんあるから(ものごとに優劣があるという思い込み)
7-1. 自分のことがよくわからないなら、自分を知らなければならない。→参考記事 アセンションに向けて 〜自分を知るということ
7-2. なぜダメな部分がたくさんあると思っているのか?→幼いころからいろいろと指摘され続けてきたから
8-2. 幼いころに指摘されていたこと、そのときの感情を思い出し、そのときの自分を癒すこと、そして優劣があることは思い込みにすぎないことに気づき学び理解し自己受容することが必要。
ここには同僚にたいする「嫉妬」もある。
嫉妬は他者を羨み妬む(うらやみねたむ)ことだ。
なぜ嫉妬するのかといえば、自分のほうが優れているのにという傲慢や卑下、優劣や上下のジャッジメントをしている、他者と自分を比べている、などが自分の中にあるだろう。
なぜ自分は嫉妬するのか?を深く深く内省・内観してみると、その原因にたどりつける。
なにかのできごとで辛い気分になったとき、どういう感情が起きたのか、なぜその感情になったのか、そこに固定観念や思い込みがあるのならその固定観念や思い込みの原因はなにか、どんどん深く掘り下げていく。
自分がこういう感情になるのは○○という固定観念があるからだ、○○という固定観念があるのは育った環境が●●だったからだ、周りの大人がそうだったから●●があたりまえだと思っていた、などなど、これだと納得できるまで深く深く。
その感情になったほんとうの原因は、けっして「なにかのできごとが起こったから」ではない。外に原因はないのである。
感情だけではなく、思考、行動についても、なぜその思考や行動になったのか、ということを自分の中に見つけだす。
同じような感情を抱いても、その過程や原因は人それぞれだ。
自分の中にしか答えはない。
めんどうかもしれないが、自分を深く探っていくことは、自分のことが明らかになっていくことは、とても楽しいことだ。
常に自分に問うことがクセになったらそう大変なことではなくなる。
そのうえ気づきや学びが満載であり、生きていくのが楽になる。
長々とけっこうがんばって書いてみた。わかりにくいだろうか。どなたかのお役に立つことを心より祈る。
love & peace & thanks & blessing!!!
おはようございます。
最近内観・内省する際に気づいたのですが、自身の浄化をしてからのほうが余計な想念?思い込み?がなくてやりやすい気がします。あくまで気がするだけですが。
ガイドさんやハイヤーセルフに頼んでおいたら浄化してくれるようなのでそのあとに取り組んでみたりしてます。
体感、なんかやりやすいです。
はるさん、
コメントをいただき、ありがとうございます。
人それぞれやりやすいやり方があると思います。
原因にたどりつくまでの過程や手放す方法などもきっとそれぞれですね。
そこもまた自分自身で発見していくものでもあると思います。
はるさんのやり方をご紹介していただき、ありがとうございました。