アセンションに向けて 〜自分を知るということ

昨年秋ごろに「自己認識」「自己受容」について書いた。

これは楽しく進んでいくうえでとても大切なことで、というか、まずそこができないと、今回の人生においてなかなか進化が望めないのではと思うほどに重要なことだ。

ネガティブな感情や不要な固定観念を手放していくために内省・内観をしていても、まずは自分を受け容れないとうまく進まないのではと思う。

進化やアセンションを抜きにしても、自分を受け容れるということは人生をとても楽にする。

とはいえ、いろんなかたとお話ししていると、それがとてもむずかしいことであるのも事実のようだ。

けっこういいこと書いてんな、という参考記事はこちら

アセンションに向けて 〜いまの自分を認めるということ

アセンションに向けて 〜自分で歩いていくということ

そこでおすすめしたいのが「自分を知ること」。

あたしは自分に興味がなく自分のことを知らなかったので、自分を知ることからはじめた。

あたしのようにこんなにも自分のことを知らない人ってそういないんだろうな、みなさんは自分を知っているのだろうな、と思っていたから、過去の記事でも言及はしつつ追求はしなかった。

だけれど近ごろ、ちゃんと自分のことを知っている人ってけっこう少ないのかもしれないと感じている。

自分のことなのだからあたりまえに知っていると思っているだけで、実のところそうでもないのでは、と感じるのである。

自分のことをきちんと知らないと、自分を受け容れることはむずかしいように思う。

じゃあ、自分のことを知るとはなんなのか。

いろんな記事で言及しているが文字どおり「自分がどんな人物かを知る」ということ。

これまでにも書いていて、同じようなことを書いてもなんなのでちょっと長いが引用する。

自分が生まれる前からわかる範囲で書きだしていく。

祖父母がどういう人であるか、その子どもである両親の特性、どのように育ち二人が出会い結婚したのか(わかる範囲でいい。祖父母や両親のことを知らないなら、知らないというそのことを書く)、

どんな環境で自分が生まれ育ったのか、生まれた自分は祖父母両親のどのような特性を受け継いだのか、

子どものころ好きだったこと嫌いだったこと、なにをして遊んでいたか、学校でなにが楽しかったか、

どのように学校をえらび卒業し、会社をえらび入社してどんな仕事をしているのか、休みの日の楽しみ方、大人になったいまなにが楽しいのか、

乳児のころからいままでのなかで覚えている印象深いできごと、などなど書けるだけ書きだす。できれば時系列で。

生まれてからいままでを、環境や家庭や学校や会社でのできごとを含め書いていく。楽しかったこといやだったこと印象深いことはすべて書き、そのときの気持ちも覚えていれば書く。

それに加え、子どものころや成長過程、現在において気になること、もの、人、場所などを書き出す。

書き終えたら、それをながめる。

順に読んでいき、自分が両親からどのような特性を受け継いで生まれ、どういった環境・家庭で育ち、どのように成長していったか、をながめる。結果現在の自分はこういう人物である、とまた書いてみる。これは箇条書きがいいと思う。

・思ったことがすぐ態度にでる。
・料理することが好き。
・手先が器用。
・自分に自身がない。
・正義感が強い。

などなど。たくさんでてくるはずだ。

こういったことをやってみると、客観的に自分がどういう人物か分析できる。

アセンションに向けて 〜内省・内観のやり方

これがなかなかめんどくさいと思う人は多いだろう。それはわかっている。おっしゃるようにめんどくさい。人それぞれだろうが時間もかかる。ざっと書いたあとも、思いついてはつけ加えていくことになるので数カ月かかる場合もあるかもしれない。

しかし、自己認識、自己受容するには必要であると声高に言っておく。

自分がどのような環境でどのような大人に囲まれて育ったか、どのような固定観念を植えつけられたのか。

だからいまこうなんだ、こういうパターンに陥るのか、こういう感情が起きやすいのか、など、気づくことがたくさんあるだろう。

また、自分はこんなことが好きだった、こんな遊びをしていた、幼いころは将来こうなりたいと思っていた、中学生のころはあれに夢中だった、など、すっかり忘れていたことを思い出したり、新たな発見もあるだろう。

客観的に俯瞰で自分がどんな人物であるかを知ることは、一種の内省・内観であり、その後さまざまなものを手放していくための内省・内観をするうえでもとても役立つ。

そして必然的に両親や家族のこと、はたまたそのずっとまえから連綿とつづく先祖、家系までも客観的に分析することになるので、あらためていろいろな感情や思いもでてくる。

あたしの場合は、いろいろありながらも両親なりに懸命に育ててくれたよな、と、本気の感謝の念が初めてめばえたように思う。

そういう副産物もあり、自分を知ることはこれまでの人生の整理になる。

今回生まれるまえからこれまでを客観的にながめてみると、自分なりにがんばって生きてきたな、と自分が愛おしくならないだろうか。

ダメな部分やまだまだな部分はあるけれど、これがいまのありのままの自分で数十年間いろいろな経験をして成長してきたんだな、と受け容れられないだろうか。

もっと楽しく生きていくために手放すことはあるけれど、これがいまのありのままの自分であってそれでいいのだ、と認められないだろうか。

いつも書いているように、やるもやらないもみなさんの自由だ。

自分を知らなくても自己受容しなくても生きていける。

ただ、いま辛いならいま苦しいなら、それをどうにかしたいなら、まずは自分を知って自分を受け容れること。

そこからが進化へのスタートだ。

そして自分を見つめ向きあいつづけ、いろいろな不要なものを手放していく。

自分を知って自分を受け容れると、人生がとてもとても楽しくなる。

何度でも書く。

すべての答えは自分の中にある。

だったら、自分のことをよく知る必要がある。

love & peace & thanks & blessing!!!

アセンションに向けて 〜自分を知るということ」への2件のフィードバック

  1. 書き出しもなかなか思い出せず埋まらないものですね。
    でもふとした拍子に思い出して、ポジティブでもネガティブでも感情が動いた時、自分のことを知って(思い出して)成長をするチャンスだと思えば、だいたいのことは受け入れれるようになりました。
    あとはそんな条件なしでも、そのうち受け入れれるようになればいいかなと思ってます。

    最近は「自分ってこのことにこう感じるんだなぁ」とか「そういえばあの時もこう感じてたなぁ」など、なんだか感情という名の幼稚園児を見守る通りすがりのおじさんのような気分になってきました(笑)現実なら事案ですね。

    そして、どうしても受け入れにくい感覚があった時は「これは宇宙がこのことを経験させて成長するよう促してくれてるのかな。愛かな」と宇宙と愛のせいにすればなんか納得できたりするので不思議です。

    ここのサイトと管理者様と縁があってからはまた楽に生きていけてる感じがします。ありがとうございます。

    1. はるさん、
      コメントをいただき、ありがとうございます。

      そうですね、数十年の自分の人生ですからさまざまなことがあり、最初はどう書いていいのやら、みたいなことになるかと思います。
      膨大な量になりますし、時間もかかります。
      だけれど、すっかり忘れていた自分を形成してきたうえで重要な意味があったことを思い出したり、いろいろな気づきや発見があり楽しいものです。

      ご縁があった人たち、関わってくれた人たちへの感謝が、頭だけではなく心からのものになる手助けになるようにも思います。

      なにごとも自分に必要な経験だからこそ起こっているのであり、そこには学ぶことががたくさんありますね。

      楽に生きていけてる感じがする、とのこと、私としてもとてもうれしいです。
      今後も少しばかりでもお役に立てるように精進いたします。

      はるさんが、ますます楽しく進まれますように。

      ありがとうございました!

ascended master life へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

CAPTCHA