身内との関係

ずいぶんまえに両親との関係についての記事を書いたのだけど、そのときよりもあたしは格段に進化しているし、もうちょっと広く、またちょっとちがう側面から書いてみたいと思う。

最初は、パートナーとの関係について書こうかしらん、と思ったが「パートナーいないんですけどおー」という人もいるだろうし、たとえいまはいなかろうと今後の役に立ててもらえたらとも思いつつ、パートナーと限定せずに身内や家族ということで書こうと思った次第。

この記事での「身内」は、家族や親族、血のつながりはなくても家族みたいな関係、などなかなか切りようがない関係性を指すこととする。

身内というのは厄介だ。

友人知人だとかは、なにかあって離れようと思えば離れられる。厄介な人は厄介だが、なんとか逃げることができる。

もちろん身内であっても、ほんとうにすべてを切ってしまいたいと、だれにも告げず失踪してしまう場合もあるだろうが、そこまでするほどではないけど、な人が大半だろう。

というか、そんなことをしなくてもいいように、楽しくなかよくやりましょうよ、というのがこの記事の主旨。

まず両親について、まえの記事にも書いたが両親は自分で選んだということを肝に銘じていただきたい。

人生計画(ブループリント)に沿って進んでいくための経験ができて学べそうであること、また、受け継ぐ性質も計画に必要であること、そういったことを鑑み今回の両親を選んだのだ。

たとえひどいようにみえる親であっても、今回の自分の人生で経験して学ぶことが必要だということ。

一緒に育ったきょうだいについても同じ。自分の人生に必要な大切な登場人物だ。

さて、あなたは両親やきょうだいからなにを学び、いまも学んでいるだろうか?

ちょっとだけ自分の話をすると、ぼちぼち殺伐とした家庭で育った。特に父親は客観的にみるとなかなかひどかったのではと思う。死んだ父親のことをあまり悪く言いたくはないが、自分が生まれてから父親が死ぬ最後まで親子らしいコミュニケーションを取れないままだった。

それはもちろんこちらにも原因があるし、父親にもいいところはあった。そんなことに気づいたころには父親が普通に話せる状態ではなくなってしまっていた。

そんな関係ではあったけれど、だからこそ大いに学ばせてもらったし、受け継いだものも大切に思う。

ということは、両親を生んだ祖父母たち、そのまた曽祖父母、はてはご先祖のことを自然と大切に思えている。

この両親やきょうだいだったからこそ、いまこうしていることをとても納得している。

今回の人生が、自分で両親を選んだことから始まって、いろんな経験をして学んで、いまの自分であることを誇らしく思う。両親には心からの感謝あるのみである。

両親のことをなんのわだかまりもなく心から感謝できるかどうかというのは、いまの自分を認めているか否か、自己認識、自己受容できているかが大きい。

いまの自分を受け容れていないなら、その自分が選んだ両親も受け容れられないだろう。

嗚呼、やっぱり内省・内観なのである。

参考記事はこちら

アセンションに向けて 〜内省・内観のやり方

自己認識、自己受容についての参考記事はこちら

アセンションに向けて 〜いまの自分を認めるということ

アセンションに向けて 〜自分で歩いていくということ

いま親になっているなら、子どもは自分たちを選んでやってきた。この親なら立ててきた人生計画で必要なことが学べそうだと。

なんて愛おしい。それも肝に銘じていただきたい。

こういうことを書くと子どもをもてなかった人は「選んでもらえなかった…」と気落ちする場合もあろうが、それも人生計画のうち。

子どもをもつことで学ぶことは多いが、今回そういう学びは必要ではなかったということ。

どうしても育てたかったら、事情があって親と離れてしまった子どもたちはたくさんいる。そういう子どもを育てることになるならば、それが人生計画なのだろう。

あたしは子どもをもてなかったが、いま在るのは子どもがいなかったからだと納得している。子どもがいたらこうではなかっただろう。今回の人生で子どもを産み育てられなかったのは残念だし、親に孫を見せられずご先祖にも申し訳ないが、いなくてよかったとすら思う。それほどまでにいまの自分に満足している。

嗚呼、これまた自己受容。

両親だけで長くなってしまったが、もう少しおつきあいいただきたい。

今度はパートナー。

ここでは婚姻関係、事実婚、など長く一緒に暮らしていて、なにもなければ死ぬまでこのまま、という意味でのパートナーとさせていただく。

ツインレイなのか、ツインソウルなのか、それはよくわからずとも、婚姻関係があろうとなかろうと、深いご縁があったことだろう。人生計画で決めてきたことだ。

生活をともにする大切な存在。血をわけた親きょうだいよりも親密な他人。ある程度の大人になって自分の意思で(そうでない場合もあろうが)家族となった相手。

みなさんパートナーとの関係はどうだろう?

先に言っておくと、愛情もなくなんなら大嫌いで顔も見たくなければ声も聞きたくないと思っている、または思われている、みたいな場合は関係を清算したほうがいいかもしれない。

ご縁はあったのだろうし両家の親族のことなどあるだろうが、どうしても一緒にいたくない人と無理して一緒にいる必要はない。その関係で学ばせてもらったことに感謝しつつ別れることは悪いことではない。

子どもがいれば、子どものために別れられないという考えもあるだろうが、険悪な両親の元で育つこと、シングルな親の元で育つこと、それぞれ子どもに必要な経験になるだろうから、子どものためだけにどうこうと思わないでいいのではと思う。

もちろんよくよく考えて、生活が変わることへの覚悟やめんどうなことへの気合いなど、しっかりと自分に確かめて決断しなければならないだろう。

いやになったらなにも気にせず別れたらいいと言っているのではなく、そこまでいっているのなら、の話。そうなるまえにできることはあったはずで、これからその話。

程度の差こそあれ、パートナーにたいしてのちょっとした不満や文句のひとつふたつはだれしもあるだろう。

こんなはずじゃなかった、前はこうだったのに変わってしまった、仕事が忙しいのはわかるけど私だって忙しいのに、自分のつきあいばかり優先して、そんなことは自分でやれ、勝手にそんなやりかたでやるなよ、少しはこっちの身にもなれ、それぞれいろいろあるだろう。

なぜ不満があるのか?

それはあなたの中に思い込みや不要な固定観念があるからだ。

正しい正しくない、優れている劣っている、善い悪いなどの思い込み、相手を自分やだれかや理想と比べていることによるジャッジメント、などなど。

まずは、相手のことをそのまま受け止めることだ。あなたが選んだその人はそういう人だというだけのこと。あなたにとっていいと思う部分、よくないと思う部分、そういうものがある人だ。

あなたにとってよくないと思う部分が、他者からみると長所と思えるかもしれない。あなたがよくないと決めつけているだけかもしれない。

あなたは「自分勝手でひどい」と思うかもしれないが、他者からみると「自由でいいね」かもしれない。あなたの意識次第で「自由でいいね」になりうるのだ。

一緒に暮らしていても、同じ考えなわけではないし感じかたもちがう。

同じように考えろ感じろと強制できることではないし、コントロールできるものでもない。相手を自分の思いどおりにすることなどできない。

そんなあたりまえのことを忘れるのだ、一緒にいると。

こうしてほしいのにしてくれない、このまえ言ったばかりなのにまたやっている、そうじゃなくてこう、何度も言っているのにわかってくれない、などなど。

相手には相手の考えや感じることがある。

もちろん一緒に暮らしているのだから、ある程度ルール的なことを守ってもらわないと、ということはあるかもしれないが、考えや感じることも変わっていくのだから、ルールに固執せず柔軟に気楽に暮らしたいものだ。

そして、自分の気持ちを正直に言えていないから、ということもあるかもしれない。

あたしはこちらのタイプで、家人が気持ちよく暮らしてくれるならそれでいいと、ほとんどすべてを家人のペースに合わせていた。家人を尊重しているつもりだったのだ。

そして昔からだれにたいしても、正直な気持ちを言えないということもあった。

長らくそんな生活をしていると、自分が選んでやってきたのに苦しくなった。家人はなにも悪くないしきらいでもないのに、ひとりになるとホッとした。いつもひとりになりたいと思っていた。

気づきを得て自分を深く見つめて、正直な気持ちを言えない原因を突き止め手放した。相手を尊重しているつもりが自己犠牲だったこと、大きなかんちがいをしていたことにも気づいた。自分を尊重できるようになって初めて、ほんとうの意味で他者を尊重できるようになった。

家人はなにも変わっていないのに、自分が気づき意識を変えたら、びっくりするほど楽になった。

感情をぶつけるのではなく、言葉を選んで言いかたに気をつけていつでも自分の正直な気持ちを話す。

お互いの考えや感じかたを尊重し、愛や感謝や敬意や思いやりや慈愛をもって正直な思いを話し合う。

参考記事はこちら

正直なコミュニケーション

相手がどうこうではなく、自分がどう意識するか。

相手のこと、相手との関係を自分がどのように捉えるのか。

そうはいってもどうしようもない場合もあるだろう。

相手の精神状態がよくないなどの理由があって、普通に話すことができない場合。

話しかけても一切応じてくれない、いつでも暴言や暴力でかえってくる、など、どうにも普通に話すことができないとなると、困ったもんである。

それもあなたに必要な経験であり学ぶことがあるわけだが、それはそれとしてその関係をつづけたいと思うのか、自分に確認することが必要だろう。

こちらが変えようと思っても他者を変えることはできないので、本人が自分で気づかないかぎりそれはつづくと思われる。

あなたの意識が変わり、それが相手に影響を与え気づきとなり変わっていくことはあるかもしれない。

どうあっても一緒にいる、と思うのか、無理だと思うのか。どちらを選んでもあなたの正解だ。

どのような関係であっても、身内というのは深い深いご縁のある魂である。今回の人生に必要だからそこにいる。

親もきょうだいもパートナーも子どもも、ひとつの魂としてあなたと同じように地球で経験することがありそこにいる。

あなたの人生にかかわってくれること、学ばせてもらえていることに感謝して、愛と敬意と思いやりと慈愛を忘れずに、一緒に楽しく進んでいけたら幸い。

あなたの意識、捉えかたが変われば、関係はとても心地よいものとなるだろう。

love & peace & thanks & blessing!!!

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