キリストさん「愛の石」の後日談

前々回の記事で高次元からのお年賀ということで、高次元のみなさんからのメッセージを掲載した。

その記事はこちら

高次元からのお年賀

このメッセージを聞くにあたり、人数も多かったので半分ずつ2日にわたって聞いた。

コンタクトをとり、ごあいさつをして、メッセージを聞き記録し、お礼を言って別れる、というのを15名くりかえしていったわけだ。

そんなことなので、そのときは内容を吟味することなく聞いてダダーっと記録していった。

そしてお年賀なので早く記事にしたほうがいいと、ダダーっと記事を書いた。

記事にして誤字脱字などをチェックする段階になって、はじめて内容をふんふんとかみしめた。

あたしへのメッセージも、みなさんの参考になるものもあったはずだ。

で、みなさんの中にも「ん???」とひっかかった人もいたのではないかと思う。

そう、キリストさんのあたしへのメッセージにあった「愛の石」のこと。

メッセージを聞いたときは次もあるもんだから、「はいはい、それはそれは。ありがとうございまーす。」と軽いタッチでお礼を言って別れたのだが、内容をかみしめる段階になってあたしも「軽くいただいちゃったけどどういうこと?」となった。

そしてあるのである。

ハートの真ん中にルビー色のキラキラ輝く「愛の石」が。

気がつけばすっかりあたしのハートの真ん中にはめ込まれている。

ちなみにルビー色の「愛の石」は、いわゆる天然石みたいな自然の形ではなく、ブリリアントカットみたいに洗練されていてとても美しい。(宝石にはまったくくわしくないのだが)

そこでくわしくお話をお聞きすべく、あらためてキリストさんにコンタクトをとったわけ。

そのまえに、我がメインガイド不動明王さまに「もらっちゃいましたよ〜」とお話ししていると、高次元がざわついているのを感じた。

なんでも「キリストがあの『愛の石』を渡したらしいよ!」「マジで!?」「ついに!」「とうとう!」「だれによ!?」「あいつにか!?」といった感じでちょっとしたニュースになっているとのこと。

別件でいろいろな高次元存在とお話しする際も「『愛の石』もらったの?」とか「ほんとだ、『愛の石』があるのね」とか「あなた『愛の石』をもらった人なのね」などとわいわい言われている。

あたしのスピリチュアルガイドチームの面々も知らなかったことなので、「すごい〜!」「おめでとう!」などと、わっしょいわっしょいお祭り騒ぎだ。

情報をやりとりしているかたにそんなご報告をしたところ、「『愛の石』はしっかりとした思考をもってエネルギーを込めれば我々も作れるらしい。キリストさんは1億年くらいかけて作ったみたい」とお話があった。

なかなかびっくりする話なのだが、あったこと、お聞きしたことを正直に書いている。

キリストさんにコンタクトをとると、とてもフレンドリーに登場くださった。なんだかバカンスにでも出かけている風情でリラックスしている。

あたし
「バカンスでも楽しんでらっしゃるようですね?」

キリストさん
「まさにそうだ。バカンスを楽しんでいる。久しぶりにゆっくりしている。大仕事を終えたからな。」

あたし
「それって『愛の石』をあたしに授けてくださったことですか?」

キリスト
「そのとおり。」

そんな感じで楽しく会話をはじめさせていただいたのだが、会話すべてを書くのもなんだし、わかりにくいのでキリストさんの話の要点をまとめる。

●「愛の石」を作ったのは実験のようなもの。

●1億2千万年かけて作った。

●高次元の波動であれば作ることはできるが、そうとうな時間がかかるだろう。(自分よりも時間がかかるはず)

●これまで作ろうとチャレンジした者はいるが、成功した者はいない。(いまのところ自分だけ)

●前回地球に誕生する前にできあがり、地球に誕生するときに持っていった。(誕生後、持っていることは無自覚)

●「愛の石」は高次元でより地球でのほうが役立つから、授けられる地球人が現れるのを待っていた。

●授けずとも作り方伝授でいいのでは?
→とにかく時間がかかるし、いままで自分しか作れていないのだから作り方を伝授したところでほんとうに作れるかもわからない。自分としては授けてこそ「愛の完成」だと感じる。

●では、あたしもだれかに渡してこそ「愛の完成」になるの?
→それはおまえ次第だ。自分は授けてこそ、だと感じたが、おまえがそうだとはかぎらないし同じでなくてもいい。授かったことで「愛の完成」かもしれんぞ。

●授けるのはキリスト教徒でなくてよかったの?
→それはまったく関係ない。自分の教えをほんとうの意味で理解したキリスト教徒で授けたい者がでてくればよかったとは思うが、おまえがでてきて注目していた。そしておまえに授けることに決めた。

●このできごとはおまえにとって重大なことだが、人生計画(ブループリント)で決めてきたことではない。なぜなら「愛の石」を授けることについては自分だけの裁量で決定することだから。いつだれに授けるかは決まっていなかった。

●キリストから「愛の石」を授けられたと、どんどん公言していきなさい。

●どう使うのか、どう使えるのか、どう役に立つのか、などは教えない。授けられた者が経験していくこと。

そういうことだそうだ。漫画漫画。とかいうと怒られそうだが。

自分のこととはいえ、ひとごとみたいだ。キリスト教徒でもないので若干申し訳ないような感じもする。

でも、ハートには紛れもなく「愛の石」がある。

この件に関して、別の高次元存在からもメッセージをいただいたのだが、それについては書かないでおく。大切に大切に自分の心に留めておく。

さて、このことについて「うっそ〜ん、こんなこと信じられない」とか「こいつ頭おかしいんじゃね?」とか「へえ〜、そんなことがあるのか」とか「なんか知らんけどほんとうのことだろうな」とか、いろいろな感想があると思う。

いつものように証明するすべはない。見える人にはあたしのハートにルビー色の石があるのが見えるかもしれんが。

この話をどのように受けとってもらってもかまわないわけだが、授けていただいた「愛の石」がこれからあたしになにをもたらすのか、どのような経験をさせてもらえるのかとても楽しみである。

そして「愛の石」が、だれかや地球や宇宙の役に立つことを心から願う。

love & peace & thanks & blessing!!!

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