お正月の小ネタ 〜歳神さまとの会話

今年もよろしくお願いいたします。

新しい年の一発目、歳神さまがきてくださったので日本のお正月についていろいろ聞いてみた話。

世間もそうだと思うが、あたしの年末年始は一年で一番忙しい。とにかく家事で忙しい。

大掃除からお正月準備、お節作りと毎年毎年こんなこといつまでできるのだろう、とヘトヘトになりながら思う。

今回は喪中のためお祝いごとはなしなのでお正月飾りの準備はせず、お節はどうしようかと迷っていたのだが、お正月に普段と変わらない食事作るのもなーと作ることにした。

実は我がメインスピリチュアルガイド不動明王さまに相談していた。

喪中のお正月ってどこまでどうなの?と。

不動明王さま曰く「なにもすべきではない」とのこと。

お正月飾りはもちろんのこと、お節もなにもしなさんな、とおっしゃる。お正月料理も食べるべからず、だそう。

お祝いごとの一切をやらずに喪に服すのが本来らしい。

なぜかというと、亡くなった身内にたいするポーズ。「あなたが亡くなって悲しいの」のポーズ。あちらで見ているのでね。ワイワイ祝っていると「自分死んだのに楽しそうにやってんな」と拗ねるわけだ。もちろんみんながみんな拗ねるわけではなく、「気にせず楽しく祝ってくれ」というお気持ちのかたもいるはずだが。

悲しみに暮れていてお祝いどころではないの、と亡くなった人に向けて見せているわけ。

というわけで、お節を作ったあたしをあちらにいった父親は「なに楽しそうにやってんだ」と拗ね気味だっただろうが、とにかく作った。(愛猫はそんなこと気にしていないはず)

そのおかげできてくださったのだ。歳神さまが。

歳神さまはお正月飾りを目印にやってくる。

今年うちにはなかったのだが、お節料理目当てにやってきてくださった。そう、あたしの作ったお節料理を食べにこられたのだ。

あたしは作るのに疲れ果てて気づいていなかったのだが、大晦日にやってきてちゃんと料理を食べたそうだ。

歳神さまがいらっしゃるのでお正月の小ネタを。

●お節料理

お節料理は大晦日に歳神さまにお供えして、それを元日に我々がいただく。
歳神さまは昨今の簡素化を残念がっていらっしゃった。

お節にはいろいろと縁起物の料理が入っているが、「福がくる」ということで食べるに越したことはないそうであるが、内容物よりも「お重(重箱)」に入れてあることが大事らしい。「お供物」としての体をなしていることが大切とのこと。
うちは割とちゃんと作りお重につめるので歳神さまは「感心感心」とお褒めくださり「毎年楽しみにしておるのじゃ。」と長年食べにこられていたそうだ。

大掃除でピカピカにした台所で一年で一番汚れるお節作りをすることが毎年解せなくて、そこんとこどうなんですか?とお聞きしたところ、
「きれいな台所で作ることに意義がある。お供えする神聖な料理なのだ。きれいな場所で作るのはあたりまえ。」とのこと。
はい、ごもっとも。

お節料理は地方や家庭でさまざまだが、大切なのは
「一年無事に過ごせてありがとうございました。来る年もよろしくお願いいたします。」という気持ち、
「この料理を食べる人たちにとって良い年になりますように。」という思いで準備すること。

作らずに買うのは問題なし。一番大切なのはどういう思いで準備するか、だ。

●お正月飾り

近ごろは簡素化されているむきもあるが、歳神さまはそれを目印にやってくる。
昔はみんな自家用車の前っつらにも飾ったものだが。(「それはどうでもよい。」と歳神さま)

目印なのでできれば最低でも玄関外くらいには飾っておきたいものだ。
「歳神さまどうぞおいでくださいね。」とお迎えする気持ちを込めて飾っていただきたい。

●初詣

初詣はたいていの人がどこかしらの神社に行くだろう。
歳神さま曰く「好きな神社に行くがよい。ただ、家の一番近くの神社にはぜひ行ってほしい。」とのこと。

「日本人は礼儀正しいから、新年のあいさつをしないと気持ち悪いだろう?そこは感心しておる。お正月はたくさんの人があいさつに訪れるから、そこにいる神も居住まいを正して気を引き締めて待っておるのだぞ。」だそうだ。

初詣の基本はあいさつである。
よく、住所や名前を言うべき、みたいな話があるが言ったほうがいいそう。
「あいさつするのに自己紹介は基本だろう。」
はい、ごもっとも。

●大掃除

忙しい現代人は、なかなか大掃除の時間もないものと思う。
年末ギリギリまで仕事で時間がない、年が明けてお正月休みのうちにやろう、などという話もよく聞く。
さて、大掃除ってどうなのよ?と歳神さまにお聞きしたところ、
「なんのためにするのかを考えい。一年世話になった家に感謝するすす払い、わしを迎えるためにきれいにしておく。おのずと答えはでるわいな。」
はい、ごもっとも。

というわけで、年内にやるものですな。
そしてこちらも、
「一年風雨から守ってくれてありがとうございました。」という家にたいする感謝の気持ち、
「きれいにしてお待ちしますのでおいでくださいね。」という歳神さまにたいするおもてなしの思いが大切である。

お正月気分も終わったいまごろに、いまさらな記事で申し訳ない。

次に向けて参考にしていただけたら。

昔からの風習というのは、最初は「思いや気持ち」からはじまったものだ。

それが時を経て形が変わることもあるだろうが、その「思いや気持ち」は忘れずにいたいと思う。それこそが一番大切なこと。

ここでふと、歳神さまが家にやってくることにどういう意味があるのか?とお聞きした。

歳神さま
「家に神様がくるのだぞ。新年に神様が家にくることはありがたいとは思わんかね?だって神様だぞ?おまえがそんなこともわからんはずはなかろう。」

あたし
「いやいや、もちろんそれはわかっています。読者のかたに伝えたいな、と思いまして。歳神さまがきてくださってとてもありがたいですし、家の中や自分が清々しく澄み切った感じがしますよ。」

歳神さま
「そうじゃ、家に神様がくる、それだけで意味のあることだ。」

はい、ごもっとも。

ちなみに歳神さまは、1/7の七草を食べたら帰る、とおっしゃっていたのだが、「ここは居心地がいいのう。」とまだいらっしゃる。お風呂に入り茶の間でくつろいでのんびりしていらっしゃるが、今年うちには鏡餅がなく鏡開きはしないので、そのころにはどこかに行かれる模様。

歳神さまはフレンドリーでとてもすてきなかた。

もういいかげんきっちりお正月準備をするのも疲れるなー、と思っていたが、毎年きていただけるよう必要なのだなと、気が引き締まる思いの新年であった。

love & peace & thanks & blessing!!!

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