スピリチュアルガイドさんとの会話 〜担当1. 学びについて

少し前に、スピリチュアルガイドさんたちにはそれぞれ担当がある、ということを書いた。今回はそのそれぞれの担当について掘り下げてみる。

担当があることについて書いた記事はこちら。

スピリチュアルガイドさんとの会話 〜 それぞれの担当

最初はあたしの場合ツクヨミさまが担当している「学び」について。

なんとなく、学びってスピリチュアルガイドのリーダーが担当するのかと思っていたが、そうではないらしい。そしてだれがどの分野を担当するかを決めるのは守護天使なのだそう。

守護天使はスピリチュアルガイドのすることに基本的には関わらず、大局を見てなにかあれば口をだす、ということだそうだ。とはいえ、個別に守護天使に相談したいことがあれば、いつでも言ってね、というスタンスだ。我々もお願いや相談があればいつでも話しかけられる。

さて、学び。

学びとは、もちろん勉学のことではなく、魂として進化するための学びだ。魂の進化に勉学が深く関わる場合もあろうが。

魂としての進化とはなんぞ?と思う方はこちらの記事もどうぞ。

魂の進化とはなにか

今回の人生を始めるにあたって、決めた人生計画に沿って進んでいけるように、学びになる両親を選ぶという重要なことが、学び関連の最初の最初。

その両親の選定に、学び担当スピリチュアルガイドは関わる。選ぶのは自分なのだけど、担当が「この人たちを選ぶといいんじゃなーい」と仕向ける。話し合ったり口をだすというよりも、あくまでも仕向ける。インスピレーションを与える。

選んだ両親のもと無事に誕生し人生が始まると、温かく見守りながら、ときには学びのために厳しいできごとをもたらしたりもする。

ちなみに、人生計画から逸れそうになると、スピリチュアルガイドがインスピレーションを与え軌道修正するが、どんなできごとかによって、それぞれの担当が関わる。

少し話が逸れるが、重度の障害があったり、重い病気にかかったりする子どもがいる。その子たちは、両親や周りの人たちに学びをもたらすという人生計画なのだろう。手がかかったり大変なことも多いと思うが、学ばせてもらえる大切な光の存在だ。

学びとは経験するということだ。そういう意味では、生まれてから死ぬまで我々はずっと学んでいる。

と書いたら、ツクヨミさまがそうじゃないと言う。生まれてから死ぬまでではなく、魂としてこの宇宙に誕生してからいままで、そしてこれからもずっととのこと。生まれて死んで上の次元に戻っているときも学んでいて、その繰り返しだからずっとずっと学んでいるのだそうだ。

そして学びとは気づくということだ。気づいて初めて学びとなる。今回の人生で必ず学ばなければならないことならば、気づくまで何度も何度も同じようなことがあるだろう。学び担当スピリチュアルガイドがそうしている。

学ばせるためのできごとをもたらすわけだが、そのできごとは辛いことの場合が多い。困難のほうが気づきやすいからだ。ときには3次元の地球の感覚だと非情とも思えるようなことを起こす。

スピリチュアルガイドはなにも我々を苦しめようとおこなっているのではない。彼らには善悪も成否も正負も優劣もないので、困難を起こしてやろうと思っているのではない。ただ気づかせようとしているだけだ。ただ学ばせようとしてるだけだ。

困難が起こり、気づき学ぶ。そうするとそれはカルマの浄化になる。魂が誕生してから何度もの転生をくりかえす間に抱えたカルマを、学ぶことによって返済する。困難があっても学ばなかったらカルマの浄化にはならない。とツクヨミさまが言っている。

学ぶ=カルマの浄化。

なるほど。とても納得。
以前は、困難=カルマの浄化みたいに思っていた。
おっとしまった、以前書いたカルマの浄化の記事は説明不足なので追記することにする。

追記した記事はこちら。

意識レベルを高めていく方法 2 〜カルマの浄化

それにしても、学ぶことが多い若い魂の学び担当スピリチュアルガイドはさぞ忙しいことだろう。と思って聞いてみたら、やはりとても忙しいとのこと。ツクヨミさまは、あたしに関してはそう忙しくなかったらしい。

我が学び担当ツクヨミさまは、冷静で厳格で気品あふれるお方。ツクヨミさまがいる空間はきっと、静謐で涼やかなのではないかと思う。

と書いたら、ほかの三人がちょっと異議を唱えた。そういう方だけど、とても明るくチャーミングであたたかい方でもある、とのこと。

そんなツクヨミさまはとても厳しい。どこかの記事で書いたが、アセンション後に、あるセッションを受けたほうがいいか聞いてみたら行けと言われ行ったのだが、あたしにとってはまったくのインチキで高い授業料を払わされた。最初ほかの三人はやめとけと言ったことを、ツクヨミさま一人が反対して三人を説得、最終的には四人同意のもとあたしに行くように仕向けた。

行ったことで学んだことがもちろんあった。しかし経済担当のお釈迦さまはたまらなかっただろう。あたしもたまらなかった。高かった。痛かった。

だけれど、必要な学びだったのでツクヨミさまは行かせた。あとから「そういうことだったんですね」と話しかけたら「そうですよ」と涼しげに言われたものだ。

そのようにアセンション後にもいくつか学びは続いたのだが、それも2018年で終わった。もうあたしは3次元で学ぶことがなくなった。自分でもそう感じるしスピリチュアルガイドのみなさんもそう言っている。ヒマだ。

とはいえ、そちら方面の学びは終わったが、知らないことやできていないこともたくさんあるわけで、安来節を完璧にマスターするとか大好きなカマキリを研究するとか死ぬまでにホームラン打ちたいとか、そういう意味での学びはこの先もあるのだろう。

だけれどいまは、アセンデッドマスターとしてできることをやっていく。そのうち完璧な安来節を舞うアセンデッドマスターになるかもしれないので乞うご期待。というのは嘘だが、自分が楽しいことならチャレンジしていくだろう。一年前に、楽しいことしかやらないと鼻息荒く決めたのだ。

困難=学び=カルマの浄化。

辛いこと苦しいこと、困難があるたびに「この困難は自分になにを学ばせようとしているのか?」とぜひとも自分に問いかけてほしい。そして気づき学べたらそれは浄化となり、あなたはアセンションへの道を着実に進んでいることになる。

love & peace & thanks & blessing!!!

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